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伏兵のレコード勝ちで幕を閉じたケンタッキーオークス

  • 2020年09月09日(水) 12時00分

デアデヴィル産駒ワンツーに「呼び戻せ!」の声も


 4日(金曜日)にチャーチルダウンズ競馬場で行われた第146回ケンタッキーオークス(d9F)は、オッズ16.1倍の伏兵シーデアズザデヴィル(牝3)が1分48秒28というステークスレコードで優勝。G1アラバマS(d10F)を制しての参戦だった2番人気(3.5倍)のスイススカイダイヴァー(牝3)が2着に入り、18.3/4馬身差で制したG1エイコーンS(d8F)を含めてG1連勝中だった1番人気(1.7倍)のガミーン(牝3)は、懸念されていた距離不安が現実のものとなって3着に敗れた。

 この結果を種牡馬単位で切り取れば、この世代が初年度産駒となるデアデヴィル産駒による1・2フィニッシュだった。すなわち、初年度産駒からいきなり大物2頭を送り出したデアデヴィルは、おおいなる脚光を浴びることになったわけだが、実はデアデヴィルは既に、北米馬産界から放出されていて、現在は中東のトルコで供用されているのだ。

 G1ドンH(d9F)勝ち馬アルバータスマキシマスの半弟で、祖母レースザワイルドウィンドはG1サンタマリアH(d8.5F)勝ち馬という、骨太の牝系を背景に持つのがデアデヴィルだ。父はモアザンレディだからヘイロー系サイヤーラインの継承者で、なおかつ、母の祖父がヘイローだから、デアデヴィルはヘイローの3×4というインブリードを持つ。

 現役時代のデアデヴィルはトッド・プレッチャー厩舎に所属し、2歳9月にデビュー。ベルモントパークのメイドン(d6F)を6.1/4馬身差で快勝して緒戦勝ちを果たしている。この勝ち方に意を強くした陣営は次走、同馬をいきなりベルモントパークのG1シャンパンS(d8F)にぶつけ、ここも2.1/2馬身差で制して無敗のG1制覇を成し遂げている。ちなみに、この時に獲得したベイヤー指数は、107という非常に高いものだった。

 しかしこれが、同馬が現役時代に挙げた最後の勝ち星となった。続くG1BCジュヴェナイル(d8.5F)では、2番人気に推されたものの11頭立ての11着に大敗。3歳緒戦のG2スウェイルS(d7F)が2着、続くG1ウッドメモリアルS(d9F)が4着に終わると、その後はファンの前に姿を現すことなく、3歳10月に、現役引退と16年春からケンタッキーのウィンスターファームで種牡馬入りすることが発表された。

 仕上がり早でスピード豊かという、生産者に好まれる形質を持ったデアデヴィルは初年度、種付け料1万2500ドルで供用され、17年春に88頭の初年度産駒が誕生している、だが、2年目の種付け料が7500ドルに減額されているところを見ると、初年度産駒の評判はさほど芳しいものではなかったようだ。これを裏付けるように、18年の北米1歳市場におけるデアデヴィルの初年度産駒は、上場された75頭の73.3%に過ぎない55頭が購買され、平均価格は3万4353ドルという低調なものだった。

 こうなると、潮が引くように客離れが起き、初年度の16年には123頭に交配したデアデヴィルの、19年の種付け頭数は21頭まで減少することになった。これに追い打ちをかけたのが、19年にデビューした初年度産駒の成績で、父譲りのロケットダッシュが期待されたにもかかわらず、同年末までに12頭の産駒が勝ち上がったのみで、この中に特別勝馬は1頭しかおらず、フレッシュマンサイヤーランキングで17位に低迷した。「2歳戦向き」が「売り」だった馬がこの成績では、見限られるのも早い。19年11月27日、同じウィンスターファームで供用されていた10年のG1ケンタッキーダービー勝ち馬スーパーセイヴァーとともに、トルコジョッキークラブに購買され、故郷のアメリカを去ることになったのである。

 ケンタッキーオークス勝ち馬シーデアズザデヴィルも、2着馬スイススカイダイヴァーも、生まれたのは父が供用されていたウィンスターファームだ。前述したように、イヤリングセールにおけるデアデヴィル産駒は評価が低く、シーデアズザデヴィルはキーンランド9月1歳市場に上場されるも2万ドルで主取りになり、スイススカイダイヴァーは同市場で3万5千ドルという廉価で購買されている。すなわち、幼少の頃は全く目立たずに評価の低かった2頭が、クラシックを戦う3歳となって大きな飛躍を見せ、ともにG1勝ち馬となったのである。

 2頭とも、父とは全く異なる成長曲線を描いているのだから、血統とは摩訶不思議なものだ。ケンタッキーの生産者の間からは当然のことながら、「デアデヴィルを呼び戻せ」の声が起きており、実際にウィンスターファームには「買い戻すならシンジケートに入りたい」との申し出が多く寄せられているという。デアデヴィル来年春もトルコに留まるのか、それとも北米に戻るのか、その動向が注目されている。 

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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