▲日本を代表する名手、自身9回目の凱旋門賞参戦へ (撮影:高橋正和)
10月4日にフランスのパリロンシャン競馬場で行われる凱旋門賞に、アイルランド調教馬のジャパンで参戦することとなった武豊騎手。自身にとって3年連続、9回目の挑戦となります。
ジャパンを管理するのは、アイルランドの名伯楽エイダン・オブライエン調教師。この抜擢に込められた、武豊騎手に託すミッションとは? 世界の競馬を知り尽くす合田直弘さんが、今回の挑戦の意義を解説します。
さらに後半では、武豊騎手が参戦した過去8回の凱旋門賞を写真で振り返り。数々の場面で武豊騎手と行動を共にしてきた作家の島田明宏さんの言葉を添えて、初参戦となったホワイトマズル、今回騎乗するジャパンの近親サガシティなど、超貴重な写真が満載です!
◆合田直弘氏の視点「スランプにある同馬をユタカマジックで…」
前売り1番人気のラブ(牝3)を筆頭に、凱旋門賞に複数の手駒を送り込む愛国の伯楽エイダン・オブライエン調教師が、その1頭であるジャパン(牡4)の鞍上に武豊騎手を指名した。
G1英オークス2着馬シークレットジェスチャーの全弟で、タタソールズ10月1歳市場にて130万ギニー、当時のレートで2億1千万円という高値で購買されたのがジャパンだ。
極めて高かったであろう周囲の期待に応えて、2歳秋にはG2ベレスフォードSを制し重賞初制覇。そして3歳時には、パリ大賞、インターナショナルSという2つのG1を制した他、凱旋門賞4着などの実績を残し、欧州10F〜12F路線におけるトップホースの1頭となった。
松島正昭氏が代表をつとめるキーファーズが、ジャパンの権利の半ばを買収して共同馬主となった今季、残念ながら同馬の成績はここまであまり芳しくない。4戦して勝星がなく、直近のG1愛チャンピオンSでも勝ち馬マジカルから6.1/2馬身遅れの5着に敗れた。
しかし、本来の力を出せば凱旋門賞でも争覇圏に入る馬であることは間違いなく、スランプにある同馬をユタカマジックで覚醒させることが、武騎手に託された使命となる。
これで3年連続9回目の凱旋門賞参戦となる武騎手だが、01年には単勝40倍で10番人気のサガシティを3着に持ってきた実績がある。そしてジャパンは、そのサガシティの甥にあたるという縁もあるのだ。
昨年の凱旋門賞当日には5つのG1に騎乗していたように、欧州最高の檜舞台に立つことが「当たり前」になっている武騎手が、凱旋門賞制覇という究極の勲章を手にする場面を、競馬ファンであるならば見逃すわけにはいかないはずである。
◆島田明宏氏の言葉と共に…写真で振り返る全8回の挑戦の記録
1994年ホワイトマズル
現地メディアの厳しい批判…その屈辱をエネルギーに
▲吉田照哉氏所有の英国調教馬ホワイトマズルで初参戦 (C)T.I.S.
凱旋門賞初参戦となった1994年の騎乗馬は吉田照哉氏所有の英国調教馬ホワイトマズル。武豊騎手との初コンビは同年7月23日のKジョージVI世&QエリザベスDSで、僅差の2着だった。
第73回凱旋門賞の出走馬は20頭。ホワイトマズルは序盤、促しても進んで行かず、後方に控えた。最終コーナーで外に出して猛然と追い込むも、勝ったカーネギーに2馬身ほど及ばぬ6着に終わった。その騎乗は現地メディアの厳しい批判に晒された。
「あのとき味わった悔しさがあったから、2001年からフランスに長期滞在する決断をしたのかもしれません」と武騎手。世界最高峰の舞台で味わった屈辱をエネルギーに替え、その後も海を渡りつづける。
2001年サガシティ
「フランスの騎手」となった武豊騎手へのオファー
▲当時は米国に騎乗ベースを移していた武豊騎手 (C)ScoopDyga・TIS
武騎手は2000年初夏から米国に騎乗ベースを移していた。が、完全な移住ではなく、たびたび日米間を往復する形だった。そんな彼のもとに、2001年から仏ジョン・ハモンド厩舎の主戦として騎乗しないかとオファーがあった。
彼は「日本ダービーのとき以外、シーズンが終わるまで帰国しない」と宣言し、仏国に騎乗ベースを移した。こうして「フランスの騎手」となった彼に、同年の凱旋門賞の騎乗依頼が来た。伯楽のアンドレ・ファーブル調教師が管理するサガシティである。
ファーブル師は、武騎手が1994年にムーランドロンシャン賞を勝ち、海外G1初制覇を果たしたときの騎乗馬スキーパラダイスの管理者でもあった。サガシティは3着。この時点で10年以上に及んでいた海外遠征の繰り返しが結実した善戦であった。
2006年ディープインパクト
「今でも悔しさで目が覚めることがある」
▲世界も恐れをなした日本の怪物が満を持して登場 (撮影:高橋正和)
▲しかし、ディープをもってしても頂点には届かなかった (撮影:高橋正和)
3度目の参戦のパートナーは、前年、史上2頭目の無敗の三冠馬となったディープインパクト。渡仏前、武騎手は「この馬が日本に生まれて、ぼくが主戦騎手に指名されてよかった」と話した。
ディープの強さに恐れをなしたのか、次々と回避馬が出て、出走馬は僅か8頭になった。今度こそ悲願達成かと思われたが、直線で初めて後ろの馬にかわされて3位入線。その後、検体から禁止薬物が検出されて失格となった。
「今でもあの敗戦の悔しさで目が覚めることがあります」と振り返った。「この馬が世界で一番強い」と確信した馬で敗れた悔しさは、レース後何年も胸に残った。
念願は叶わなかったが、新たな夢ができた。ディープの仔で凱旋門賞を勝つ、という夢が。
2008年メイショウサムソン
大オーナー“メイショウ”松本好雄氏の涙に…
▲重厚な欧州血統と力強い走りから好結果が期待された (撮影:島田明宏)
メイショウサムソン陣営は、この前年も凱旋門賞参戦に向けて準備を進めていた。しかし、馬インフルエンザの影響などのため遠征を断念。武騎手との初コンビは同年の天皇賞・秋となり、ここを2馬身半差で圧勝。そして翌2008年の第87回凱旋門賞に参戦する。
ディープインパクトほどの瞬発力こそなかったものの、父オペラハウス、母の父ダンシングブレーヴという重厚な欧州血統と力強い走りから好結果が期待されたが、3歳牝馬のザルカヴァに6馬身ほど離された10着に終わった。
父・邦彦元調教師の代から世話になっている大オーナーの松本好雄氏が、自身の勝負服を凱旋門賞のパドックで見て涙を浮かべていた。その姿に、武騎手は凱旋門賞の重みを再認識させられたという。
2010年ヴィクトワールピサ
日本の3歳馬として初めて凱旋門賞に参戦
▲落馬負傷でのリハビリ中に受けたという騎乗依頼 (撮影:島田明宏)
▲斤量面で有利な3歳馬での参戦 (撮影:島田明宏)
武騎手はこの年の毎日杯で落馬負傷し、騎手生活で初めての長期ブランクを経験することになった。そのリハビリ中に、凱旋門賞におけるヴィクトワールピサの騎乗依頼を受け、それを励みに復帰を目指した。
日本の3歳馬として初めて凱旋門賞に参戦することになったヴィクトワールピサはしかし、前哨戦のニエル賞で4着。本番の凱旋門賞では、英国ダービー馬ワークフォースから8馬身以上遅れた7着に敗れた。なお、2着は日本のナカヤマフェスタだった。
長らく凱旋門賞は斤量面で3歳馬に有利だと言われていた。実際、ディープもサムソンも3歳馬に敗れている。結果こそ伴わなかったが、その3歳馬でどれだけやれるかを確かめることができたのは収穫だった。
2013年キズナ
「凱旋門賞の扉は重い。でも、鍵はかかっていない」
▲現地で掲げられた「絆」の横断幕 (撮影:高橋正和)
▲ダービー制覇から、世界へと挑戦したキズナ (撮影:高橋正和)
武騎手は、キズナで父ディープインパクト以来の日本ダービー制覇を果たし、自身の日本ダービー最多勝記録を「5」に伸ばした。そのキズナで、自身6度目となる凱旋門賞に参戦することになった。
前哨戦のニエル賞では、同世代の英国ダービー馬ルーラーオブザワールドを破って優勝。世界に力を見せつけた。しかし、1番人気に支持された日本の先輩オルフェーヴルとともに臨んだ本番の凱旋門賞では、3歳牝馬のトレヴに7馬身ほど離された4着に終わった。オルフェは5馬身差の2着だった。
「凱旋門賞の扉は重い。でも、鍵はかかっていない」と武騎手。キズナを管理した佐々木晶三調教師も「今回の遠征は失敗ではなく成功だった」と胸を張った。遠かった栄冠に手が届きそうな実感が得られた。
2018年クリンチャー
経験値を高めるという大きな意味
▲前回のキズナにつづき、ノースヒルズのクリンチャーでの参戦 (撮影:高橋正和)
キズナの生産者であり、チーム・ノースヒルズの代表をつとめる前田幸治氏が所有するクリンチャーで、武騎手は7度目の凱旋門賞参戦を果たす。
クリンチャーと初めてコンビを組んだのは同年の阪神大賞典だった。そこは3着。秋初戦のフォワ賞で再度コンビを組み、6着。つづく凱旋門賞は17着だった。
残念な結果に終わったが、日本のテレビの凱旋門賞中継にゲスト出演するたびに、「ここにいるのではなく、あそこで乗っていなくてはダメなんです」と話していた。
それだけに、この年の春からリニューアルオープンし「パリロンシャン競馬場」と改名された舞台で初めて行われた凱旋門賞への参戦には、自身の存在を内外に示しながら、さらに経験値を高めるという大きな意味があった。
2019年ソフトライト
騎乗予定馬が回避も、世界のユタカに新たな騎乗依頼
▲当初は別の馬で凱旋門賞に参戦する予定だった武豊騎手 (C)netkeiba.com
▲キセキ、ブラストワンピース、フィエールマン、日本馬3頭と対戦 (C)netkeiba.com
この年は当初、愛国エイダン・オブライエン厩舎のブルームで凱旋門賞に参戦する予定だったが、同馬が回避したため、騎乗馬はないと思われていた。
それでも、凱旋門賞当日に行われるほかのレースに騎乗するため渡仏していた彼に、急きょ、ジャン・クロード・ルジェ厩舎のソフトライトの騎乗依頼が舞い込んできた。
同馬は追加登録で参戦することになったのである。世界最高峰の舞台で、日本とつながりのない馬の騎乗を依頼される日本人騎手は彼ぐらいだろう。
このレースで、彼がヘルメットにつけていたカメラで撮った映像をネットで見た方は多いのではないか。ソフトライトは6着。日本調教馬はキセキ(7着)、ブラストワンピース(11着)、フィエールマン(12着)の3頭が参戦していたが、それらに先着する好騎乗を披露した。