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【名馬、天国へ】藤沢和雄調教師に聞く…「シンボリクリスエスが残したもの」

  • 2020年12月25日(金) 20時02分
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▲3歳時に勝利した有馬記念 (撮影:下野雄規)


ラストランの有馬記念で、9馬身差の圧勝劇。衝撃のドラマとともにターフをさったシンボリクリスエスが8日、繋養先の千葉県成田市のシンボリ牧場で蹄葉炎のため死亡した。21歳だった。

2歳の秋にデビューし、クラシックで唯一参戦したダービーは惜しくも2着だったものの、3歳馬ながら天皇賞・秋と有馬記念を勝利。さらに翌年も両レースを連覇し、2年連続の年度代表馬に。種牡馬としては、エピファネイアやルヴァンスレーヴらを輩出した。

“シンボリクリスエス”が残したものとは―― 管理した藤沢調教師が、思い出とともに振り返ります。

(取材・文=筑波遼)


「あの馬に教えてもらった教訓」


――シンボリクリスエスが蹄葉炎により、12月8日に亡くなりました。

藤沢 亡くなった話は翌日(9日)の朝に聞きました。最後の有馬記念で素晴らしい勝ち方をしてくれたことが印象に残っているし、色々と勉強をさせてもらいましたね。

――3歳の春、日本ダービーではタニノギムレットに敗れての2着でした。

藤沢 大きな馬体で若いうちは腰に疲れが出やすかったり、体質的に弱いところがあった。ゲート(の出)も遅かったよね。そのあたりが山吹賞の頃から良くなってきたし、ダービートライアルの青葉賞を楽に勝ってくれた。

 これならダービーも…と色気を持ったんだけど、レース後のユタカ君(武豊騎手)に「この馬、秋になったら良くなりますよ」って言われてね。結果、この時のダービーを勝ったのは彼が騎乗していたタニノギムレット。さすがだと思いましたよ。

 クリスエスの場合は2勝目を挙げるまでに時間がかかったし、皐月賞に間に合わなかった。いつも言い続けている通り、春のクラシックでは早い時期から“王道路線”を歩んできた馬たちが強い。それは紛れもない事実だと思うし、あの馬に教えてもらった教訓です。

――有馬記念は3、4歳時に連覇しました。ラストランの2003年は9馬身差で圧勝。衝撃的な強さで有終の美を飾りました。

藤沢 この年の天皇賞・秋も強かったけど、最後に素晴らしい勝ち方をしてくれた。ずっと成長し続けていたし、もう少し長く走らせてみたいと思っていたのが本音。それぐらいのパフォーマンスを見せてくれました。

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▲「もう少し長く走らせてみたいと思っていたのが本音」と藤沢師 (C)netkeiba.com


2世代目、3世代目の活躍に期待


――種牡馬としてはサクセスブロッケン、ストロングリターン、アルフレード、エピファネイア、ルヴァンスレーヴといったGI馬を送り出し、ブルードメアサイアー(母の父)としてもレイデオロがダービーを制覇。今年はエピファネイア産駒のデアリングタクトが無敗で3歳牝馬三冠制覇を成し遂げました。

藤沢 そうだね。クリスエス自身は2000mぐらいでのスピードが素晴らしかったし、アメリカの血統だからダートでも走るんじゃないかと思っていた。実際、子供たちは芝でもダートでも走っているしね。

 3歳の春ぐらいから成長していく傾向にあるし、自分の厩舎ではマチカネニホンバレやサトノギャラントなどが古馬になってから上のクラスで走ってくれた。代を重ねながら色々なタイプの産駒が出ているし、これから先も2世代目、3世代目の活躍に期待しています。

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▲2世代目、3世代目の活躍が期待される (撮影:下野雄規)

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