▲何かと比較されがちなふたり…そのホンネを語ります (撮影:桂伸也)
藤岡康太騎手をゲストにお招きしての兄弟対談。前回はリアルな兄弟関係に迫りましたが、今回は騎手同士としての関係を深堀します。佑介騎手がデビューした3年後に、康太騎手がデビュー。「康太のほうが乗り役としてセンスがある」、そんな言葉を言われ続けたと言います。さらにGI制覇も康太騎手が先に果たし…。今だから明かせる、兄としての心境とは?
(取材・構成=不破由妃子)
「今に見とけよ、という思いがありました」
──これまでに何度か、「素直に康太を応援できない時期もあった」という佑介さんの正直な気持ちを聞いたことがあります。やはり兄弟ならではの競争心というか、複雑な思いがあるのだろうなと思って聞いていたのですが、康太さんにもそういう時期はありましたか?
康太 どうしても比較されることが多いので、「兄貴より勝ちたいな」と思うことはあります。
──比較されるなかで、素直に応援できなかったり、嫉妬心のようなものが芽生えたことは?
康太 いや、それはないですね。僕のなかでは「お兄ちゃん」というより、「年齢が近い仲のいい先輩」という感覚のほうが強いので。
佑介 比較されるという意味では、俺は「康太のほうが乗り役としてセンスがある」みたいなことを言われ続けてきた。
──確かに、康太さんがデビューした頃から、そういう声がありましたね。
佑介 はい。僕がどうこうというより、康太のことを評価してくれる調教師さんがすごく多くて、「お前、負けるなよ。康太が出てきたらめちゃくちゃ勝つぞ」とかよく言われて。
康太は子供の頃から運動神経がよかったし、物怖じしない性格もジョッキーに向いていると思っていたので、そう言われることはある程度覚悟はしていました。ただ、あまりにも言われたから(苦笑)。「今に見とけよ」という思いがありましたね。
──そんななかで、康太さんのほうが先にGIを勝って(2009年・NHKマイルC・ジョーカプチーノ)。
▲2009年のNHKマイルCをジョーカプチーノで制覇 (撮影:下野雄規)
▲デビューから3年目でのGI勝利となった (撮影:下野雄規)
佑介 あの頃はまだ「自分もそのうち勝てるだろう」と思っていたので、あのGI自体は、それほど悔しくはなくて。
康太 俺がGIを勝ったとき、一番微妙な顔をしていたのは親父だった(笑)。兄貴が親父の厩舎のワンカラット(6着)に乗っていたからね。ちょっと複雑そうな表情で、「おめでとう」って言われたのを覚えてる。
佑介 そうなんや(笑)。俺も当時はそこまで深く考えていなかったというか、普通に「よかったやん」ていう感じやったけど、時が経つにつれて「康太くんがGIを勝ったから、次はお兄ちゃんだね」みたいなことを言われることが増えて。そう言われるようになってから、より強くGIを意識するようになったと思う。
いいときにケガをしてしまう…康太騎手のジレンマ
──先ほどの「負けるなよ」にしてもそうですが、激励の言葉だとわかっていても、言われ続けるとしんどいですよね。
佑介 発破をかけてくれているのはわかっていたので、それ自体はよかったんですけど…。やっぱり、そう言われていたぶん、康太にはもっと活躍してほしい。「今に見とけよ」と思っていた僕からすると、ちょっと物足りない(笑)。
まぁ、いいときにケガをしてしまうことが多かったんですけどね。春先までめちゃくちゃ勝っていて、このままいけばリーディング上位に食い込めるんちゃうかっていう勢いのときに、落馬してケガをしたことがあったよな?
康太 あったね。2016年だったかな。
──2016年といえば、年間62勝でキャリアハイをマークした年ですね。
康太 そうですね。あのときの落馬(4月17日・阪神3R・3歳未勝利)は、完全に自分の不注意でした。あの年は年明けから流れがよくて、周りが見えていたというか、自分の乗り方にも自信がついてきたときで。だから、ポジションを下げたくないとか、もうちょっと突っ込んでいきたいという気持ちが前に出過ぎてしまった。
少し狭くなるかなと思いながらも、ここで下げてしまったらこの馬のよさを生かせないと思って、引っ張らなかったんですよね。それだけは鮮明に覚えています。でも、思っていた以上に狭くなって、「あっ!」と思ったときにはもう……。
佑介 俺はその日、皐月賞(ドレッドノータス15着)に乗ってたんだよ。皐月賞が終わったあと、JRAの職員さんに「続報が入ったらお知らせしますけど、康太さん、あまり状態がよくないみたいで…」って言われてさ。
「覚悟しておいてください」ということかなと思った。同じ仕事をしているから、そういうことがあることも覚悟しているけど、あのときはさすがに怖かったな。
▲佑介「覚悟はしているけど、あのときはさすがに怖かったな」 (撮影:桂伸也)
康太 その何年か前に小倉で落馬(2012年8月25日・小倉8R)したときは、目がなかなか治らなくて…。
佑介 ああ、小倉での落馬は、親父が「怖かった」って言ってた。親父自身が康太についていて、康太の状態を見て「アカンと思った」って。
康太 1週間くらい意識がなかったからね。意識が戻ってからも、複視でずっと視界がボヤけていて、普通の階段が螺旋階段に見えるような感じで。体は元気なのに、目がそんな状態だから、馬にも乗れなくてさ。結局、半年近く休んだんじゃないかな。
──心身へのダメージはもちろんですが、とくに2016年の落馬は、「流れを止めてしまった」という意味でも大きな出来事でしたね。
康太 そうですね。なかなかあれだけのペースで勝たせてもらえることはないので。当然「今年こそは」という気持ちがありましたし、自分の不注意ということもあって、あそこでケガをしてしまったのはかなり悔しかったです。
(文中敬称略、次回へつづく)