▲電撃引退が発表されたサートゥルナーリア、今だから語れる思い (C)netkeiba.com
今月15日に所属するキャロットクラブのホームページで発表された、サートゥルナーリアの電撃引退。ミルコ騎手が大好きなシーザリオの子で、これまた大好きなリオンディーズの弟。そんなサートゥルナーリアに乗れることが決まったときは、本当にうれしかったと言います。
ミルコ騎手は2歳時の3戦(新馬戦、萩S、ホープフルS)の手綱をとり、全勝。クラシックからはルメール騎手に手が変わりましたが、またいつかコンビを組める日を待ち望んでいたミルコ騎手。引退に寄せて、思いを明かします。
(取材・構成=森カオル)
※本コラムは19日の公開予定でしたが、都合により本日の掲載とさせていただきます。
Q「サートゥルナーリアが引退しました。私のなかでは、ミルコ騎手が乗っていた頃が一番強かった印象があります。ミルコ騎手が感じた強さなど、改めて思い出などを聞かせていただけたらうれしいです」(ナチュラリーさん)
ミルコ サートゥルナーリアについては、ちょっと話が長くなりますね。なにしろ大好きなリオンディーズの(半)弟だからね。
リオンディーズでは、朝日杯フューチュリティS(2015年)を勝つことができたけど、皐月賞では今までで一番と言えるくらい悪い乗り方をして、降着になってしまいました(4位入線も5着に降着)。ダービーは5着だったけど、直線ですごく頑張ってくれたので楽しみにしていたら、秋になって屈腱炎になってしまって…。
▲朝日杯FS優勝時のリオンディーズとミルコ騎手 (C)netkeiba.com
──結局、そのまま引退に。
ミルコ そうです。本当に本当に残念だった。僕はもともとシーザリオが好きで、「一度乗ってみたい!」とずーっと思っていたから、その子供のリオンディーズに乗れるとわかったときはすごくうれしかった。
しかも、何度も何度も言っているけど、今まで乗った馬のなかで一番のイケメンだったし。だから、引退してしまったのがすごく悲しくて、すごくショックで。それもあったから、2年後に弟のサートゥルナーリアに乗れることになっただけでも本当にうれしかったです。
──初めて乗ったときの感触は覚えていますか?
ミルコ もちろん! 初めて調教に乗ったとき、めっちゃ引っ掛かった(苦笑)。リオンディーズも掛かる馬だったけど、なんとなく我慢できたようなところがあって、初めて乗った印象としては、サートゥルナーリアのほうが半端なかった(笑)。
でも、いざ競馬にいったら、思ったより上手に走ってくれました。道中は好位の内目でジッと我慢できたし、直線はスペースがなかったけど、前が開いたら一瞬にしてグン!と加速して。瞬発力勝負の競走になったから、直線に向いたときには「前を捕まえられないかも…」と思ったんだけど、いざ追い出したら簡単だったね。「これは間違いない、絶対に走る!」と思ったし、すぐにダービーのことが頭に浮かびました。
──その後は萩S、ホープフルSと3連勝。走るたびに凄味が増していった印象があります。
ミルコ そうですね。新馬戦もそうだったけど、2戦目も僕はなんにもしてない。“は〜い、ありがと〜”みたいな感じで勝った(笑)。
ホープフルSは、初めての輸送で初めての距離、しかもコーナーが4つある中山ということで、いろいろ不安もありました。でも、そこまでの2戦で馬の力は十分伝わってきていたから、僕は負けないと思ってた。
──直線は狭いところをこじ開けるように抜けてきましたね。
ミルコ ものすごく厳しい競走になりました。皐月賞とかダービーとか先のことを考えたら、やっぱりあそこで競馬を教えたかった。だから、控えて内で我慢させたんだけど、そのぶん直線は難しい競馬になってしまって。それでも最後はあの脚だからね。
▲ホープフルSでデビュー3連勝を飾ったサートゥルナーリア (撮影:下野雄規)
──当時、サートゥルナーリアを「化け物」と表現されていました。
ミルコ うん、化け物だと思った。ムチも使っていなかったし、GIなのに最後までものすごく余裕があったから。いっぱいいい馬に乗せてもらってきたけど、「どこを使っても負けない、これ以上強い馬はいない」とずっと思ってました。僕のなかでは、ドゥラメンテにも負けないくらいすごい馬だった。
──乗り替わりになってしまったとき、ものすごく落ち込んでいたのを覚えています。
ミルコ めっちゃ悲しかった。ただ、クリストフとは仲がいいし、クリストフにとって皐月賞は勝ったことがないレースだったから、クリストフが勝ったこと自体は僕もうれしかったです。
その後は、どこかでまたチャンスをもらえたら…ってずっと考えていたけど、結局、叶わなかったね。でも、お父さんになるから、子供に乗れるチャンスはまだある。乗れたらいいな。
(文中敬称略)