
▲トップジョッキーが目にした、衝撃のサンデーサイレンス産駒たち (撮影:福井麻衣子)
今春から技術調教師として、第二のホースマン人生を歩み出した蛯名正義調教師。デビュー10年目でのGI初制覇となったバブルガムフェローの天皇賞・秋を皮切りに、数々の大舞台で活躍してきました。
そんな中で目の当たりにしたのが、サンデーサイレンス産駒の大活躍。初年度産駒からバブルガムフェローやフジキセキ、ジェニュインを輩出。その中で、蛯名騎手の代表騎乗馬の一頭マンハッタンカフェは、ほかの産駒とはちょっと違うタイプだったそうです。
(取材・構成=不破由妃子)
「絶対にアメリカに行こう」武豊騎手との約束
──今、振り返ってみて、トップジョッキーへのターニングポイントというと、やはり先ほどお話に出たバブルガムフェローの天皇賞・秋になりますか?
蛯名 当然あの天皇賞もそうだし、もっといえば初重賞(92年・フェブラリーH・ラシアンゴールド)もそうだし、香港で初めて勝った重賞(95年・香港国際C・フジヤマケンザン)もそうだし。
「ずっと勝てないんじゃないか」という思いも含めて、背負っていたものが少しずつ軽くなっていった感じかな。フジヤマケンザンの香港なんて、前の年の暮れはへぐって4着(94年・香港国際C)、春もドン詰まって10着(95年・クイーンエリザベスII世C)。で、3度目の挑戦でようやく勝って。
佑介 そんな経緯があったんですね。
蛯名 うん。降ろされても何も文句は言えない状況で乗せてもらっていたからね。オーナー(藤本龍也氏)にも森調教師にも本当に感謝している。非常に勉強になったし、やっぱり自信につながったから。そのあと、いろんな国に行かせてもらうようになったしね。
佑介 蛯名さんといえば、凱旋門賞に4回も騎乗されていますが、アメリカにも長期で乗りに行かれた経験があるんですよね。