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ダノンキングリーに待望の初戴冠 安田記念当日に川田騎手が施した策 【月刊 川田将雅】

  • 2021年06月17日(木) 18時02分
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▲ダノンキングリーにGIタイトルをもたらした安田記念を回顧 (撮影:福井麻衣子)


今回のテーマは直近の話題をお届けする「月刊 川田将雅」。ピックアップするテーマは、ダノンキングリーに待望のGIタイトルをもたらした安田記念です。

皐月賞3着、ダービー2着、大阪杯3着…力はあるけども、GIにはあと一歩届いていなかったダノンキングリー。GIを勝つために、“仕事人・川田将雅”が施したある策とは?

(取材・構成=不破由妃子)

ダノンキングリーは想像したより遥かに…


──安田記念優勝、おめでとうございます!

川田 ありがとうございます。安田記念の前に、ダービー(ヨーホーレイク7着)について触れておきたいんですけど……いいですか?

──もちろんです。

川田 ダービーは、とても下手に乗りました。馬にも関係者にも、期待して馬券を買ってくれたファンのみなさんにも、申し訳ないことをしてしまったと思っています。レース自体はとてもおもしろいダービーだったと思うんですが、ヨーホーレイクに携わる方たち、応援してくださった方たちには、本当に申し訳なかったなという思いが強くて。

──下手に乗ったというのは、具体的にどのシーンですか?

川田 どのシーンというよりも、全体的に形がよくないなかで、いい走りをさせることができませんでした。“負けるときはこういうもの”というくらいに、流れの悪いレースになってしまった。そんな状況を打破できず、結果を得ることができなかったので、本当に申し訳なく思います。

──レース後のコメントでも謝罪されていましたね。

川田 ダービーに限らず、下手に乗ってしまったなと思うときは、正直に言います。馬は頑張ってくれて、望む結果を得ることができなかったのは僕のせいですから。

──それを言えてこそプロですよね。さて、安田記念。「プレミアムじゃなくキングリーなんだ」と思ったファンの方も多かったかと思いますが、今回コンビを組むことになった経緯を伺ってもいいですか?

川田 もともと話はいただいていたんです。今年も何度かレースに使う方向で調整が進められていたので、乗る予定でスケジュールを組んでいたんですが、レースに使える状態まで整わないということで、予定が数回キャンセルになりまして。結局、安田記念一本でいくということになったんです。なので、安田記念で急に乗ったわけではなく、順調であれば、何度か乗っている予定でした。

──そうでしたか。何度か乗る予定が組まれていたということは、その都度、ダノンキングリーについて予習されていたわけですね。

川田 クラシックシーズンは強力なライバル馬として見ていましたし、自分が乗る可能性が出てきてからはさらに細かくチェックして、長い間、観察と分析をしていたので、初めて乗ったような気がしない不思議な感覚でした。

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▲川田騎手「初めて乗ったような気がしない不思議な感覚」 (撮影:福井麻衣子)


──実際に跨ったのは、安田記念当日が初めて。

川田 パドックの時点で鞍を置き直す必要が生じたので、ファーストコンタクトは地下馬道でした。もともと萩原調教師と話をし、戸崎さんからもキングリーについて伺うなかで、特徴のひとつとして緩い馬だとは聞いていたんです。だから、僕なりにイメージした上で跨ったんですけど、想像していたより遥かに緩かったんですよね。

──緩いというのは、トモの踏み込みが甘いということ?

川田 表現が難しいんですけど…。ちなみに、海外では「緩い」という表現がないんですよ。イギリスに行ったとき、向こうにいる日本人から「緩いという表現はない」と言われて。「弱いということ?」と聞かれたので、「弱いんじゃない。緩いんだ」と、どう緩いのか説明したんですが、イギリスではその感覚は伝わらないよと。日本独特の表現らしいです。

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1985年10月15日、佐賀県生まれ。曾祖父、祖父、父、伯父が調教師という競馬一家。2004年にデビュー。同期は藤岡佑介、津村明秀、吉田隼人ら。2008年にキャプテントゥーレで皐月賞を勝利し、GI及びクラシック競走初制覇を飾る。2016年にマカヒキで日本ダービーを勝利し、ダービージョッキーとなると共に史上8人目のクラシック競走完全制覇を達成。

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