2021年6月20日。南国の地、高知競馬場で当地のダービーにあたる高知優駿が行われました。優勝したのはハルノインパクト。2歳6月にデビューして以来、ずっと高知で活躍を続けてきました。
「仔馬の頃からトモが立派な馬だったんですよ」と声を弾ませるのは、生産者の中地義次さん。馬一筋で、40年以上前には8連勝で日本ダービーを制覇したカブラヤオーに牧場で乗っていたといいます。
急激なV字回復で全国から注目を集める高知競馬の3歳頂上馬決戦と、往年の日本ダービーを味わった中地さんの「ちょっと馬ニアックな世界」を覗いてみましょう。
温泉に行っても、帰宅すると真っ先に馬の元へ
▲▼他地区の強豪を寄せ付けず5連勝で高知優駿を制したハルノインパクト(高知県競馬組合提供)
高知優駿を制覇したハルノインパクトの生産者・中地義次さんに「おめでとうございます」とお祝いの言葉を伝えると、弾んだ声が返ってきました。
「ありがとうございます。自分にはあんまり実感がないんですけど、みなさんが取材に来てくれて『あぁ、そうなのかな』と思っています。『勝ったと言っても、小さい競馬場だから』と言うと、『いやいや、小さかろうと大きかろうと、地方のダービーはダービーだよ!』とみんな言ってくれるんです」
謙遜と喜びを交錯させながら、電話越しの声はとても嬉しそうに聞こえました。
北海道新冠町に牧場を構える中地さん。奥様と夫婦二人で繁殖牝馬14頭と、生まれてきた当歳や1歳馬の世話をしています。
春のお産シーズンともなれば、二人で交代しながら夜通しお産を待ち、今くらいの季節になると、牧草刈りに汗を流します。
▲この広い厩舎をたった夫婦2人で営んでいるのだそう
「丈夫な馬をつくりたいな、と思っているんです。いま、北海道から九州まで毎週のように生産馬が走ってくれています。レースに使えれば、勝てる運があれば勝てますが、使えないとどうにもならないですからね。
みんなと同じものをつくっているんじゃダメだから、と毎日考えながらエサには高タンパクで吸収しやすい物や、微量元素も与えたりしています。畑にもお金をかけて、いい牧草を取ろうと。それを寝藁に使って、馬がそれをまた食べてくれて、丈夫な馬ができればな、と思います」
▲とことんエサにこだわり丈夫な馬作りに励んでいる
これらをご夫婦だけでされるのですから、ものすごく忙しい日々だと思います。それでも、根底にあるのは馬が大好きな思いと、自分の手でやりたいという思い。
「年に1回くらいは日中にどこか温泉に行くんだけど、牧場が心配で、帰ってくると真っ先に馬を見に行ってホッとしますね。昔から全部自分でやらないと気が済まない性分なんですよ。人を使うくらいならやめた方がいいって考えです。女房からは『馬の仕事をやめて第二の人生だって言ったって、その時に歩けないわ、入院しているわじゃ、いい目ないでしょ』なんて言われてね。だけど、死ぬまでこのままなんでしょうね」
そう言って豪快に笑いました。
怒るとちゃんと言うことをきいた仔馬時代
今から46年前、カブラヤオーが8連勝で日本ダービーを制覇しました。
カブラヤオーの生産牧場で働いていたのが10代の頃の中地さん。
▲牧場にはカブラヤオーの写真が飾られている
「高校を卒業したての頃で、繁殖も育成もしていて、種牡馬もいる牧場でした」といいます。
「カブラヤオーは乗り味が柔らかくて、すごくいい感じでした。でも、厩舎に入るといつも寝ていました。猫みたいな馬なんですよ。すごく素直で、『これが走るのかね?』と思っていました。まだ自分も18〜19歳の頃でしたね」
第一次競馬ブームを巻き起こしたハイセイコーが引退した直後とあって、カブラヤオーが日本ダービーに出走する時には牧場にもテレビ局の取材が入ったと言います。
若くしてダービー馬に携わる経験をした後、時代の変化とともに大変な苦労を味わいながら、自身の名義で生産し、重賞3勝を挙げたのがシルクフォーチュン。2011年プロキオンS、2012年根岸S、カペラSといずれも強烈な末脚を発揮してタイトルを手にしました。
「嬉しくてうれしくてね。レースのたびに競馬場に応援に行っていて、自分の励みになっていました」
中地さんを再び奮い立たせてくれたシルクフォーチュンが引退した3年後に生まれたのがハルノインパクト。どんな仔馬だったのでしょうか。
「気性が勝っているけども、悪いことは絶対にしないんですよ。怒れば言うことをちゃんと聞いていました。
お母さんのエーシンフォチュナは仔出しがよくて、見栄えのするいい馬でした。すごくトモの張ったいい馬で、肩の張りを見てもダート馬だと思いました。
だけど、サマーセールで売れなかったんです。みんなから『ダート馬なのに、なぜ芝馬をつけたの?』と」
▲ハルノインパクトのお母さんエーシンフォチュナ
▲生産者の中地義次さんとの一枚
ハルノインパクトの父は東京新聞杯を勝ったヴァンセンヌ。その母は高松宮杯(当時)やスプリンターズSを制した快速馬・フラワーパークでした。
「自分の中では『力はあるんだから、スピードをつけてやろう』と思ったんです。いいダート馬もいっぱいいるんですけど、ディープインパクトの血が入った種馬をあえて付けようと思いました。高知優駿を勝って、馬さえ上手くつくっていれば、走ってくれるんだなぁという気持ちです」
たしかに血統からか走り方からか、高知優駿前には短距離馬説もささやかれていましたが、それも克服しての勝利でした。
「乗り役さん(西川敏弘騎手)が巧いですよね!出遅れても何しても、周りに動じず、いつものパターンで3コーナー手前からスーッと追い出したなと思ったら、4コーナーを回ると先頭に立っていますもんね。高知優駿の前哨戦は1800mに距離が延びたので、抑えるのかな?と思ったら、同じように行くんですもんね。馬に対して自信を持っているんだな、と思いました」
高知のダービー馬に輝き、さらに期待は高まっていきます。秋には生え抜き馬が集う西日本ダービー(今年は名古屋開催)もあります。
「もう地元に相手がいないから、遠征に行くのかな?そうなったら、四国からだと輸送の時間がかかるし、もっともっと相手が強くなると思いますけど、これだけこまめにビッチリ走っても脚元が故障していないので、丈夫に使えて、故障のないような馬をますますつくっていけたらな、という気持ちです」
穏やかな声でそう締めくくった中地さん。遠く北海道の地から、生産馬の丈夫な活躍をこれからも願っていることでしょう。