7月4日、開幕週の小倉競馬場で行われたCBC賞は先手を取ったファストフォースがレコードを更新して勝利しました。鞍上は、小〜中学生時代、小倉競馬場で乗馬に励んだ鮫島克駿騎手。さらにその約3時間後、隣の佐賀県にある佐賀競馬場で父・鮫島克也騎手がドゥラリュールで佐賀王冠賞を制覇し、同日に親子で重賞制覇を果たしました。
実は、父・克也騎手はCBC賞を控室のテレビで観戦し、「同じ日に重賞を勝てたらいいな」との思いを抱いていたとか。九州で生まれた鮫島親子の「ちょっと馬ニアックな世界」を覗いてみましょう。
父にくっついて武豊騎手にサインをもらった少年時代
鮫島克駿騎手(c)netkeiba.com、2018年10月11日撮影
鮫島克駿騎手が生まれ育ったのは佐賀県鳥栖市にある佐賀競馬場。父の鮫島克也騎手は当地を代表するトップジョッキーで、祖父は調教師という家系です。
「競馬場の社宅に住んでいて、小学校の登下校でも馬がいる光景でした。幼少期は祖父の厩舎に行って馬を触ったり、毎週競馬を見ていました」
物心ついた時から馬や競馬が身近な存在だった克駿騎手。5歳の時には、父・克也騎手がワールドスーパージョッキーズシリーズ(現・ワールドオールスタージョッキーズ)に地方競馬代表として出場し、2日目に2連勝を決めて総合優勝に輝きました。
「その時の記憶はすごく残っています。阪神競馬場に行っていて、世界の名手と戦う父の姿や、優勝してシャンパンファイトをするシーンを見ました。カッコよかったです」
当時の口取り写真には幼い頃の克駿騎手が写っていて、「写真が実家にあったので、いいなと思ってスマホに入れています」と誇らしげに話します。
「小学3〜4年生の時は検量室裏で父の鞍を拭く手伝いをしていました」
佐賀で断トツのリーディングを走る父の姿は、克駿少年の目にさぞカッコよく映ったことでしょう。佐賀記念などで武豊騎手が乗りに来た時には克也騎手と一緒にサインをもらいに行き、大切に部屋に飾っていた競馬大好き少年は、小学5年生になると小倉競馬場の乗馬センターに通い始めます。
佐賀競馬場から小倉競馬場までは車で約1時間半。
「小倉に祖母が住んでいたので、金曜日の学校が終わると一人で高速バスに乗って、夜遅くに祖母の家に泊まりに行っていました」
そうして毎週末、祖母の家から乗馬に通い、JRA競馬学校に合格。9歳離れた兄・良太騎手に続き2015年にデビューを果すと、2018年はキャリアハイの42勝を挙げるなど着実にステップアップしていきました。
ウオッカの新馬戦に乗った父
その様子を常に見守っていたのが父・克也騎手。「キングシャーク」の愛称で親しまれ、狙った獲物は逃さないとばかりに、現在もバリバリに活躍を続け、通算勝利数は地方5036勝、JRA30勝。牝馬で日本ダービーを制覇したウオッカの新馬戦に騎乗したのも克也騎手でした。
佐賀競馬は基本的に毎週土日の開催でJRAと重なりますが、「こっちのレースが終わって、夜にテレビでJRAのレースリプレイを見ます。気になるんでね」と、良太騎手と克駿騎手二人のレースを欠かさずチェックしているようです。
ところが一昨年の夏、克駿騎手が小倉競馬場で落馬。翌日にはライオンボスでアイビスサマーダッシュに参戦予定で、重賞初制覇の期待がかかっていました。父として、さぞ心配もしたと思いますが、
「そういう悔しいことはジョッキーには結構ありますからね。私も怪我や騎乗停止で結構ありましたよ」と通算5000勝以上を挙げるジョッキーの先輩は、その気持ちを理解します。
狙っていた親子同日重賞制覇
7月4日。小倉競馬場で克駿騎手がCBC賞をファストフォースで逃げ切り勝ちを決めた様子を、克也騎手は佐賀競馬場の控室で見ていました。
CBC賞を制したファストフォースと鮫島克駿騎手(c)netkeiba.com
「ハナに行ったけど、人気もしていないしどうかな?と思っていました。馬場が味方してくれましたね。レコードが出るくらいですから、よっぽど速かったんでしょうね。勝った瞬間は嬉しかったですよ」
その約3時間後には佐賀競馬場でも重賞・佐賀王冠賞が発走予定でした。
「自分は自分で頑張ろうという気持ちでした。勝てるなら、同じ日に勝てたらいいなとは思っていました」
克也騎手が騎乗するのは、JRA2勝クラスからの移籍初戦を快勝したばかりのドゥラリュール。
「移籍初戦が強くて、2000mに延びても大丈夫かなと思っていました。あとは相手関係が分からないので、どうかな?と」
佐賀王冠賞の返し馬では虹がかかっていた
1番人気に支持され、4コーナーを余裕の手応えで逃げるパイロキネシストに並びかけると、そこからゴールまでは直線をいっぱいに使った一騎打ちとなりました。
「4コーナーで余裕をもって並んでいったんですけど、追ってからが意外としぶとかったです」
ドゥラリュールに1発2発とムチが入るとグッと前に出たように見えましたが、すかさずパイロキネシストも盛り返します。克也騎手は体も目一杯使い、差し返されまいと追います。同じ勝負服の2頭、前に出たのはどちらか、ゴール過ぎでカメラを構えていた私には分からないまま2頭は馬体を併せたままゴールしました。
馬体を併せたままゴールした2頭
軍配が上がったのはドゥラリュール。最後はクビ差だけ前に出ていました。そしてこの瞬間、九州の地で「親子同日重賞制覇」が達成されたのでした。
▲▼佐賀王冠賞を制したドゥラリュール
「よかったなと思いました。なかなかないことですもんね」
引き上げてきた鮫島克也騎手
ダブルの喜びを感じた克也騎手。ともに重賞を制覇した親子はどんな会話を交わしたのでしょうか。
「克駿に『おめでとう』と言いました。向こうも『おめでとう』と言っていました」
多くの言葉はなくても、プロのジョッキーとして戦う者同士、通じ合うものがあるのでしょう。克也騎手は現在58歳。調教師転向も視野に入れているとのことですが、「ジョッキーとして乗り続ける間は1つでも多く勝てるようにがんばります」と力強く話します。
これからも様々なシーンで鮫島親子の活躍に注目したいですね。
鮫島親子の父・鮫島克也騎手