札幌の実家の最寄り駅から新千歳空港に向かう快速エアポートの車内でこの原稿を書いている。何度も同じことをしてきたが、いよいよ、これが最後か、多くてもあと1、2回になってしまった。9月一杯で、買い主に実家を引き渡すからだ。
8月頭に始まった今滞在の後半は、朝から晩まで両親の遺品整理をしていた。やってもやっても終わらなかった長い作業のゴールが、ようやく見えてきた。家族は「地下」と呼んでいた1階には車庫と、花柳流の名取だった母の稽古場とダイニングがあり、「1階」と呼んでいた2階には、玄関とリビングと和室とキッチンと風呂とトイレ、「2階」と呼んでいた3階には、洋室がふた間と和室、トイレがあった。広いうえに、各所に収納スペースが充実しているので、まだ使えるものから、私が小学生のとき「この時計すぐに5分進むね」と言っていた壁掛け時計や、同じころに使っていた動かない掃除機、年式は新しいが、壊れた電子レンジなどが出てきた……と記せば、どんな作業だったか、おわかりいただけるだろう。
母が2016年春に逝ってから、ずっと父が家にいたので、父の形見になりそうなものはたくさんあっても、母のものを探すのが大変だった。昔の写真や、愛用していたハナエモリのハンカチなど、探していたものを見つけたときに、自分がすぐに遺品整理をする気になれなかった当時の心情が蘇ってきた。
まったく同じものではないかもしれないが、コーヒーショップでそのハンカチを手にしていた、母くらいの年齢の女性に気づいたときは、泣かないようにするのが大変だった。今回、ほかにもたくさんハンカチが出てきて、その半分くらいがハナエモリのものだった。母はハナエモリが好きだったようだ。
形見になるものは取っておき、親戚にも服や家電を分けて、残ったものは、リサイクルショップに持って行くか、悲しいのだが、ゴミとするしかない。リサイクルショップは、しかし、テレビで特集を組んでいた有名店に行ってみたのだが、30分以上待たされて数百円か数千円にしかならず、値のつかないものは持ち帰らなければならない。あまりに虚しいので、行くのをやめてしまった。
車庫の壁一面を天井近くまで占めていた段ボール箱の山もすべて開けて中身を吟味した。
食器、陶器、衣類、スポーツバッグ、工具などの日用品、こけし、提灯、ペナントなど旅先で購入したもののほか、大量のタオルや軍手、割り箸、乾いて硬くなった使い捨ておしぼり、ポケットティッシュ、ライター、乾電池、ルーペ、ゴルフボール、庭の草木を冬支度のため縛るロープ、新聞販売店からもらう回収用の紙袋の束、動かないドライヤーなど、いろいろなものが出てきて驚いた。
そのなかにひとつ、ずば抜けて重たい段ボール箱があり、開けてみると、単行本と新書、文庫がぎっしり詰まっていた。
先日、父はあまり本を読むほうではなかったと書いたが、前言撤回、あの世代の標準的な読書量ではあったようだ。
奥付を見ると、1980年代半ば以降のものがほとんどだった。つまり、私が大学に行くため、弟は俳優になるため上京して、家にいるのが夫婦だけになってからだ。50代から60代にかけて、今の私と同じくらいのときに読んだものが大半だと思われる。
3分の1ほどが西村寿行の作品なので、官能的なシーンの多いものを好んだ、という推測は当たっていたようだ。ほかでは、赤川次郎、鮎川哲也、大藪春彦、岡嶋二人、春日彦二、北方謙三、黒岩涙香、小松左京、佐々木譲、志茂田景樹、田中文雄、津村秀介、夏樹静子、西村京太郎、広瀬仁紀、廣山義慶、船戸与一、松本清張、森村誠一、夢枕貘といった著者(敬称略、五十音順)の作品が多かった。私はまったく知らなかったのだが、父はミステリーが好きだったのだ。
ミステリー以外の小説も何冊かあり、さらに、落合信彦『日本が叩き潰される日』、笹川良一『人類みな兄弟』、鹿内信隆『指導者・カリスマの秘密』、田中清玄『統治者の条件』、ダン池田『芸能界本日モ反省ノ色ナシ』、萩原健一『俺の人生どっかおかしい』などのノンフィクションもあった。
私はその段ボール箱から3冊を持ち帰った。
東京の自宅兼事務所に着いたので、スーツケースを開けて中身を確認する。
石川喬司・結城信孝編『女は一回勝負する ギャンブル小説傑作集3』、澤地久枝『妻たちの二・二六事件』、芝木好子『隅田川暮色』である。
なぜギャンブル小説傑作集の1と2がなくて3だけあるのかわからないが、ともかく、読むのが楽しみだ。
前出の岡嶋二人の著作で残っていたのは『七年目の脅迫状』だった。父が競馬ミステリーを読んでいたとは、意外だった。父には私が書いた競馬ミステリーを全部渡してあるのだが、認知症が進んでからは読んでいなかったようだし、30年以上前に自分が競馬ミステリーを読んでいたことなど忘れていたのだろう。
いなくなって初めて知ることが、いくつも出てくる。
私が半分道民として過ごす日々も、あとひと月半で終わる。