今週末の第100回凱旋門賞に、武豊騎手がブルームに乗って参戦する。これが彼にとって、9回目の凱旋門賞となる。100回のうち9回も出る――それも欧州以外の地域から、というのは、考えてみるとすごいことだ。
初騎乗から8回目まで、年と馬名と着順を諳ずることのできる「豊ファン」は多いと思うが、ここに書き出してみたい。
1994年 ホワイトマズル 6着
2001年 サガシティ 3着
2006年 ディープインパクト 失格(3位入線)
2008年 メイショウサムソン 10着
2010年 ヴィクトワールピサ 7着
2013年 キズナ 4着
2018年 クリンチャー 17着
2019年 ソフトライト 6着
では、それぞれの年の勝ち馬はどうか。
1994年 カーネギー
2001年 サキー
2006年 レイルリンク
2008年 ザルカヴァ
2010年 ワークフォース
2013年 トレヴ
2018年 エネイブル
2019年 ヴァルトガイスト
私はこれら8回のうち5回を現地で観戦した。こうして彼の騎乗馬と勝ち馬の名を見ると、そのとき見た景色や抱いた思いが、胸の奥にじわりと蘇ってくる。
ホワイトマズルで参戦したとき、武騎手は25歳だった。その年にスキーパラダイスでムーランドロンシャン賞を勝っていたとはいえ、当時はまだ、彼が乗ることに対する現地の批判の声は大きかった。
それが、フランスに長期滞在をした2001年にはすっかりなくなっており、ディープインパクトで臨んだ2006年には、「欧州調教馬以外は勝ったことがない凱旋門賞の栄冠を、この馬に持って行かれても仕方がない」という空気さえ漂っていた。
あれからさらに時は流れ、武騎手は52歳になった。インタビューで口にした「そろそろ勝たせてほしいね」という言葉は本音だろう。
昨年もA.オブライエン厩舎のジャパンで参戦すべく渡仏していたが、同厩舎で使用される飼料から禁止薬物が検出されたため出走取消となり、騎乗せずに帰国した。今年の騎乗馬ブルームもオブライエン厩舎の馬だ。同厩のスノーフォールをはじめ、相手は強いが、どんな手綱さばきを見せてくれるか、楽しみである。
日本馬の凱旋門賞参戦ということでは、クロノジェネシスとディープボンドが、延べ28頭目と29頭目になる。初めての参戦は1969年のスピードシンボリ。52年前のことだ。
ディープインパクトは日本馬として7頭目の凱旋門賞出走馬だったから、ずいぶん前に、「プレ・ディープ」より「ポスト・ディープ」の出走馬のほうが多くなっているわけだ。
こういうことを言うと年を取ったと言われそうだが、私には、ディープの参戦がついこの間のことのように感じられる。それだけに、今、データを見ながら、ちょっと奇妙というか、不思議な感覚に襲われている。
フランスに遠征したディープが、日本産馬で初めて個体識別のためのマイクロチップを体に埋め込んだ馬となった。日本ですべての馬にチップが埋め込まれるようになったのは2007年からだ。
最初は「へえ」と驚かされたことが、やがて当たり前になる。武騎手の凱旋門賞騎乗も、日本馬の凱旋門賞参戦も、マイクロチップも。さらに、凱旋門賞をはじめとする海外のビッグレースの馬券が日本で買えるようになり、それに合わせて、スポーツ紙も、日本のレースのそれに近い紙面構成にするなど、私たちと凱旋門賞との精神的な距離感が、以前とはずいぶん変わっている。
コロナがなければ、今年も、いくつもの旅行代理店による凱旋門賞観戦ツアーが組まれ、多くの日本人ファンがパリロンシャン競馬場を訪れたことだろう。
以前、武騎手と「参戦が決まっただけで大騒ぎしているようじゃ勝てないでしょうね」といった話をしたことがあった。あまりに特別視しすぎると、肝心なものが見えなくなり、やり方を誤ることがあるからだ。
しかし、今の私は、特別なものとして騒がれ、注目されているときに勝ってこそ価値がある、と考えている。
さて、札幌の生家の残置物の運び出しが終わり、馬産地での取材も済ませて帰京した。久しぶりに美浦トレセンにも行き、ようやく秋競馬が開幕したことを実感した。この稿がアップされる翌日、19都道府県への緊急事態宣言が解除される。私の周りでも、ワクチンを2度接種した人が多くなってきた。
発表されるPCR検査の陽性者数も、日々少なくなっている。「気をつけながらの」という条件はつくが、日常を取り戻せる日が近づきつつあるのは間違いないようだ。