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優勝のチャンスあり? 欧州勢よりも日本馬に分があるデルマー競馬場の特徴

  • 2021年11月03日(水) 12時00分

「極端な小回り」「馬場が固い」「直線が249m」が特徴のデルマー競馬場・芝コース



 今週現地時間で金曜と土曜に、北米競馬におけるシーズンのクライマックスとなるブリーダーズCが開催される。

 持ち回り開催を原則とするのがブリーダーズCで、今年はカリフォルニア州のデルマー競馬場が舞台となる。ブリーダーズCのデルマー開催は、2017年以来4年ぶり2度目のことだ。

 1934年に開場したサンタアニタにおける競馬が大成功したことを受け、カリフォルニアにもう1つ競馬場を作ろうとの気運が盛り上がり、州内第2位の都市サンディエゴの北14マイルほどの地点にある海辺の街ラホーヤに、3年後の1937年に開設されたのがデルマーである。

 創設メンバーのひとりが、エンターテイナーのビング・クロスビーで、1937年7月3日のオープン当日にはゲート脇に立って、自ら入場者を出迎えるという逸話を残した。彼が歌う”Where The Turf Meets The Surf(=ターフがサーフに出会う場所)”は、競馬場のキャッチフレーズになり、テーマソングにもなっている。その名は現在も、デルマー競馬場を舞台としたダート6FのG1ビングクロスビーSに残されている。

 デルマー競馬場が、全米のスポーツファンから大きな注目を浴びたのが、開設翌年の1938年8月12日だった。この日、シービスケットとリガロッティのマッチレースがデルマーを舞台に展開されたのだ。130ポンド(約59キロ)を背負ったシービスケットが、115ポンド(約52キロ)のリガロッティに鼻差先着したレースそのものも、観衆をおおいに沸かせたが、それ以上に見ていた者の心をつかんだのが、場内を包んだ雰囲気の豪華さだった。クロスビーを筆頭に、たくさんのハリウッド・セレブたちが来場したのである。憧れの映画スターに会える場所として知られるようになったデルマーの競馬は、おおいに人気を博することになった。

 現在も、デルマー・サラブレッド・クラブのボード・メンバーには、女優のボー・デレクが名を連ねている。

 コースは、外回りが1周1マイルのダートで、内回りが1周7ハロンの芝という、タイトなトラックである。1年前にブリーダーズCの舞台となったキーンランドが、外回りのダートが8F、内回りの芝が7Fだったのに比べても、ひとまわり小さいのだ。最後の直線は、外回りのダートで約280m、内回りの芝だと249mしかない。すなわち、芝の直線は、JRAの競馬場で一番短い函館の262mよりも、さらに短いのである。

 デルマーの芝コースのもう1つの特徴が、路盤が固い点にある。筆者は先月上旬に英国に出向いた際、ニューマーケット競馬場のクラーク・オブ・コース(馬場管理責任者)を務める、ジョッキークラブ社のマイケル・プロッサー氏に、デルマーの馬場について話を聞く機会があった。プロッサー氏は馬場メンテナンスのエキスパートで、例えば、2020年から国際競走を催すようになったサウジアラビアのキング・アブドゥルアズィーズ競馬場の芝コースも、同氏の監修のもとに設営されている。来日して日本の競馬場の馬場を歩いたこともあるし、アメリカに出向いてデルマーの馬場も歩いたことがある。

 その彼いわく、彼が知る世界の競馬場の中で、路盤が一番固いのはデルマーとのことだ。馬場の固さや芝の根の張り方を知るために、馬場を歩く時には杖のようなスティックを持ち歩き、これを馬場に突き刺して感触を確かめるのだが、デルマーは「スティックがなかなか地面に刺さらない」ほど路盤が固いと、プロッサー氏は証言する。ヨーロッパの基準からすると固いと言われている日本の馬場よりも、デルマーの方が「固い」のである。

 すなわち、「極端な小回り」で「馬場が固い」という、特異なキャラクターを持つのが、デルマーの芝コースなのだ。

 ヴァンドギャルド(牡5)が挑むG1BCマイル(芝8F)、ラヴズオンリーユー(牝5)がエントリーしているG1BCフィリー&メアターフ(芝11F)は、その競走条件ゆえ、相手となるのはヨーロッパ調教馬たちになると見るのが道筋だが、彼らにしてみれば、走り慣れているヨーロッパの芝コースとは明らかに構造が違うコースを走ることになるわけだ。

 コース設定という点では、日本調教馬に分があると見てよさそうである。

 ちなみにトラックレコードは、芝1マイルが1分32秒10、芝11Fが2分11秒14となっている。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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