▲ジャパンCで有終の美を飾ったコントレイルへの思い (撮影:桂伸也)
本日行われたジャパンCで、見事に有終の美を飾ったコントレイル。主戦の福永祐一騎手も涙を流し、「素晴らしい走りで、馬自身がラストランを飾ってくれた」と称えました。
無敗の三冠&GI5勝という素晴らしい競走成績を残し、第二の馬生へと歩み出すコントレイル。管理する矢作芳人調教師が、“究極”の世界を見せてくれた愛馬への思い、そして今だから明かせるエピソードをつづります。
(構成=不破由妃子)
コントレイルと出会ってからというもの、昔のことをよく思い出すようになりました。
僕のホースマンとしての原点はシンザン。シンザンが三冠を獲った1964年当時はまだ3歳でしたが、中学に上がって競馬を好きになって以降は、ずっとシンザンに夢中だったように思います。だから、僕のなかで三冠というのは、ものすごく価値の高いもの。夢のまた夢──いや、自分の厩舎の馬が三冠を獲るなんて、夢にも思わなかった。
ブリーダーズカップもそうですが、三冠はホースマンにとってまさに“究極”。コントレイルは、その“究極”を僕に見せてくれた馬です。
▲ラストランのジャパンCで、改めて三冠馬の強さを見せつけた (撮影:下野雄規)
初めてコントレイルを目にしたのは、生まれて10日目くらいだったかな。新冠のノースヒルズに会いに行きました。普通に「いい馬だな」とは思いましたが、正直、そこまで強い印象はない(苦笑)。少なくとも、一目見て「これはスゴイぞ」というような出会いではなかったです。
ご存じの通り、1歳の終わりから2歳春にかけての約半年間、球節に不安が出て、まったく乗り込めない期間がありました。大手牧場などでは1歳の時点で15-15を乗り込んでいる馬もいますから、この半年間は相当にハンデですよね。
ようやく乗り始めたのが、2歳の6月。「とりあえずゲート試験だけクリアさせて、デビューは早くて11月、いや12月になるかもしれないな」。これまでの経験から、僕の頭のなかにはそんな青写真がありました。
が、実際には、9月の新馬戦を圧勝。乗り出してからたった3カ月で、まさかあんなに強い勝ち方ができるなんて…。何十年も競馬に携わってきた僕にとっても、あのときのコントレイルの走りは驚異でした。
そもそもコントレイルは、速いところを乗り始めた時点で、モノが違ったようです。「ようです」というのは、夏場だったこともあり、僕は多くの時間を北海道で過ごしていたので、この目でその走りを見る機会はかなり限られていました。
そんななか、スティーヴ・ジャクソン(ノースヒルズの栄養コンサルティング)の評価は最初からものすごく高く、乗り込んでいくにつれ、厩舎スタッフの評価もどんどん上がっていった。当然、前田(幸治)会長の期待も日に日に大きくなり、それこそ毎日のように電話がありました(笑)。
デビュー当日、僕はアメリカにいたのですが、そんな周囲の状況もあり、「この馬で負けるわけにはいかない」というプレッシャーを感じながら、祈るような思いでレースを見たことを覚えています。
その後、東京スポーツ杯2歳Sを1分44秒5のレコードタイムで圧勝。レース後、池江泰寿調教師に「いやぁ、これで来年は先生に持っていかれたわ」と言われたのですが、その時点での僕の気持ちは「そうかな?」。おそらく池江調教師はダービーのことを言っていたのだと思いますが、僕はまだ2400mという距離を意識できずにいました。
というのも、そこまでの2戦、とくに東スポ杯の時計を見て、マイラーだと思っていたからです。実際、作り方ひとつでは、マイラーになっていただろうなと今でも思います。
しかし、新馬戦を勝った時点で、「ダービーを獲りにいく」というオーナーサイドの意志は固まっていました。1月末に開催されたJRA賞授賞式。最優秀2歳牡馬に選出され、壇上に立った僕の横で「今年の目標は?」と聞かれた幸貴さん(前田幸治会長の息子であり、ビアンフェやシュリなどのオーナー)は、「三冠です」とキッパリ。
僕は一瞬「えっ!?」と固まりましたが、会長も「そうや」と。2400mも懐疑的だった僕としては、思わず「3000mまで行くんかーい」と心のなかで呟きました(笑)。
でも、実際にそれを叶えたわけですからね。これは、牧場の手柄であり、担当の金羅(担当助手)をはじめとする厩舎スタッフの手柄であり、(福永)祐一の手柄です。心の底からそう思います。彼らと一緒にその時間を過ごせた僕は、本当に幸せ者ですね。
ここまで11戦、どのレースにも思い入れはありますが、一番緊張したのは間違いなく菊花賞です。三冠を緊張度合いで並べると、菊花賞→皐月賞→ダービーの順。ダービーは、1枠&稍重という不安があった皐月賞で強い勝ち方をしてくれたことで、いい馬場でやれればまず負けないという自信がありました。もちろん、ディープブリランテで一度勝っていることも大きかった。
でも、菊花賞は……。当日、競馬場に着いた瞬間、突き上げるように緊張感が襲ってきて、そこからはもうダメでした(苦笑)。「勝ったら泣くだろうな」と思ってはいましたが、実際ゴールしたあとは涙が止まらず…。GI独特の緊張感というのは、これまで何度も味わってきたものの、あの菊花賞で経験した緊張は、それまでとは比べ物にならないほどのものでしたね。
▲極限の緊張感の先に訪れた、“三冠”という最高の勲章 (C)netkeiba.com
▲特別な時間を厩舎全員で――矢作調教師はスタッフみんなを現地に呼んでいた (C)netkeiba.com
やはり、僕にとってそれくらい三冠というのは大きかった。なにしろ僕の原点はシンザンですから。まさか調教師としてそこまで辿り着けるなんて、想像もできませんでした。
その後は、ジャパンC(2着)、大阪杯(3着)、天皇賞・秋(2着)。負けさせてはいけない馬でしたからね、この結果は正直、ものすごく悔しかったです。でも、僕のなかで敗因は消化できていたし、なにより三冠馬としての強さが色褪せてしまうような負け方ではなかった。だからこそ、僕がラストランに込めた思いは、ありがちな「とにかく無事に」だけではありません。その思いと同じくらいの強さで、「勝ちたい、勝ってほしい」と願って送り出しました。
おそらく、引退式、トレセンからの旅立ちを経て、寂しさに襲われることもあるでしょう。それがどれほどのものなのか、今の自分にはまだ想像がつきません。ただひとつ、冒頭でも言いましたが、コントレイルに出会ったことで昔を思い出し、馬の世界を志した当時の気持ちに立ち返っている自分がいます。
これまでも、スタッフには常々初心を忘れないことの大切さを伝えてきましたが、自分のなかでも改めてその意を強くしましたし、それが間違いではないことをコントレイルが教えてくれました。
最後にひとつだけ、心残りを吐露させてください。それは、海外のレースに使えなかったこと。一度だけでもドバイターフを使ってみたかった。海外遠征には積極的なオーナーですからね、コロナ禍でなければ行っていたはずです。
コントレイルのおかげで、オーナーとの信頼関係もより強固なものとなった今、いつかコントレイルの子供で海外のレースに挑戦したい。海外遠征に挑むには、オーナーとの信頼関係がものすごく大事になってくるので、コントレイルでより深まった絆は、必ず今後に生きてくると思っています。
だからこそ、コントレイルには「次の仕事、頑張れよ!」という言葉を贈りたい。「ありがとう」「お疲れさん」という思いがあるのは、当然ですからね。そこは僕らしく、「次の仕事、頑張れよ! 待ってるからな」という言葉とともに送り出したいと思っています。
▲「次の仕事、頑張れよ! 待ってるからな」 (撮影:桂伸也)