騎手仲間が「命だけは助かって……! 」と祈った大きな落馬事故を乗り越え、宮川実騎手が1月9日、地方通算2000勝を達成しました。2000勝というのは、地方競馬のジョッキーにとって一つの区切りとも言える数字。所属厩舎の打越勇児調教師は昨年、全国リーディングに輝きましたが「自分のリーディングよりも、(宮川)実の2000勝が嬉しかった」と喜びます。
周りの人たちからの喜びの声を聞くたび、「宮川騎手だからこそ」の偉大さが伝わってくるこの記録。今回は宮川騎手を取り巻く人たちの声から2000勝達成の「ちょっと馬ニアックな世界」を覗いてみましょう。
全国リーディングよりも嬉しかった2000勝
昨年、地方競馬全国リーディングに輝いたのは高知の打越勇児調教師。
2018年、19年と2年連続で全国リーディングに輝きましたが、20年は大晦日まで大接戦の末、わずか1勝差で全国リーディングのタイトルを逃してしまいました。
364日、競馬に携わってきて、最後の1日での1勝差なだけに、悔しい思いをしたのではないかと想像します。だからこそ「今年こそは」の思いが強かったと思われますし、11月の時点ですでに2位に約40勝差をつけて完勝モードに入っていました。
そして、リードを保ったまま見事、21年の地方全国リーディングに輝きました。しかし、年が明けて落ち着いた頃、お祝いを伝えると返ってきた言葉は意外なものでした。
「自分のリーディングよりも(宮川)実の2000勝の方が何倍も嬉しいです」
実は1月9日、所属の宮川実騎手が地方通算2000勝を挙げていたのでした。
▲宮川実騎手
宮川騎手は1999年10月にデビュー。兄・浩一調教師が半年先に騎手デビューをしていて、それを追いかける形でのデビューとなりましたが、そのきっかけは打越調教師の父である故・初男調教師でした。
旧高知競馬場からほど近い場所に住んでいた宮川少年は中学生の頃、釣りの帰り道で「え〜! 馬がいる」とポニーを見つけて触っていると、その家の女性から「競馬場に遊びに来てみんか?」と誘われました。
その女性の正体は、初男調教師の奥様。小柄な体格の宮川騎手を見て、騎手の素質を感じていたのかもしれません。
祖父が競馬好きだったことから何回か高知競馬場に遊びに行ったことはありましたが、それ以来、「騎手ってカッコいい」という目線で競馬場に行くようになり、騎手を目指しました。
宮川騎手が騎手を目指すきっかけとなった初男厩舎で厩務員をしていたのは子息の打越調教師。宮川騎手が騎手候補生だった時代、口取りで馬主や師匠に交じって綱を取る少年が写っている写真を打越調教師は調教師室に飾っています。
「あの右端の坊主の子が実です」
▲右端の帽子をかぶった少年が宮川実騎手候補生。騎手を目指すきっかけとなり、デビュー時に所属した故・打越初男調教師の管理馬の口取り撮影にて
3年前、取材で訪れた私にそう教えてくれました。当時、騎手候補生と厩務員という立場で一緒に歩んできた二人。
ところが2009年、宮川騎手は大きな落馬事故に見舞われます。勝負所の4コーナーで追い出したところ、騎乗馬が故障を発生。そのまま馬場に叩きつけられるように落馬しました。
同じレースに騎乗し、のちに妻となった宮川真衣調教師(旧姓:別府)は救急搬送される宮川騎手を見守りながら「命だけはなんとか助かって……!」と祈ったといいます。
当時を振り返って宮川騎手も「次の日、お見舞いに来てくれた人たちは『頭がバッキバキに腫れていた』と話していました」と言います。
片目を失明した中、「隻眼で乗っていた騎手が昔いた」と希望の光を灯してくれた師匠の奥様の言葉を頼りに前向きさを取り戻します。
「奥さんが毎日お見舞いに来てくれて、それを聞いて『もう一度、騎手をできるのかな』と思いました」
退院後、1カ月ほどで競馬場に戻り、乗り運動から再開。手術を繰り返し、復帰を目指す道のりが苦難に満ちていたことは想像に難くありません。
JRAで現役時代、目の難病に苦しんだ上村洋行調教師は何度も手術を繰り返し、その度に「眼帯を外したら『わ〜、見える!』と感動すると思ったら、全然見えなくて」と失望を味わった当時を振り返ったことがありました。
騎手の仕事は「見える」だけでなく、動体視力も求められます。それでも調教騎乗を重ねて感覚を取り戻すと、地方競馬全国協会立ち合いの模擬レースに臨み、復帰の許可を得て競馬場に戻ってきました。
復帰初日は、宮川騎手のカムバックを祝う協賛レースで埋め尽くされ、地元ファンは涙ぐみながらレースを見守ったといいます。
冷や汗をかき、ベッドで震える夜を乗り越え、「強くてカッコいい」
その後、師匠の初男調教師が亡くなり、打越調教師が開業すると、打越厩舎に移籍。19年5月3日に復帰後1000勝を達成すると、今年1月9日に地方通算2000勝を達成したのでした。
2000という数字は地方競馬の騎手にとって一つの区切りともいえるもの。園田競馬場では毎年、通算2000勝以上を挙げる騎手を招待してゴールデンジョッキーズカップが行なわれていることから、2000勝騎手を「ゴールデンジョッキー」とも呼びます。
大きな苦難を乗り越えて、ゴールデンジョッキーとなった宮川騎手。そのセレモニーでは、18年秋に入籍し、妻となった宮川調教師からこんな手紙が送られました。
打越調教師や周囲の人々の思いがこの手紙に集約されている気がして、この手紙でこのコラムを終えたいと思います。
“実ちゃん、2000勝おめでとう。2000勝達成までの間、本当に色々あったね。大怪我をした時のレースには一緒に乗っていたので、レース後、救急車で運ばれてくる実さんの顔を見た時は『どうにか命だけは助かってほしい』と願うことしかできないくらいの状況でした。復帰するだけでも驚いたのに、その後もずっと一線級で活躍している姿、本当に尊敬します。
一昨年は腰のヘルニア、昨年には首のヘルニアにも悩まされ、騎乗はもちろん、日常生活もままならない時もありましたね。夜中、痛みに耐えられず、冷や汗をかきながらベッドで震えている姿を見た時は『何度試練を与えられるんだろう』と思いましたが、その度に乗り越えていく姿、そして2000勝の達成、ホント強くてカッコいいなと思います。
これからは妻としてはもちろん、調教師としても少しでも勝ち鞍に貢献できるようがんばるので、これからもみなさんにサポートしてもらいながら、切磋琢磨してがんばっていきましょう。この先も怪我のないよう気を付けながら、カッコいい騎乗で競馬ファンを魅了し続けてください。いつか重賞レースの表彰台に二人で上がれる日を楽しみにしています。”
▲宮川実騎手(右)と、当時騎手だった妻・別府真衣騎手。現在は宮川真衣調教師として夫を支える。