▲川田騎手の“今”をつくった、かけがえのない存在とは(ユーザー提供:midpacaさん)
今回は、テーマを設けて川田騎手の脳内を紐解いていく「In the brain」です。「“ジョッキー・川田将雅”を育てた競走馬たち」と題し、「スーニ、アドマイヤフジ、トゥリオンファーレ」とのエピソードを明かした前編を1/13に公開しましたが、今日はその後編。
騎手としてのステージを何段も押し上げてくれた、3頭の競走馬。本命候補でクラシックの舞台に立つという、大きな仕事をさせてもらった一方、自身の経験不足・技術不足を痛感したと言います。生涯消えることのない思い――その深層に迫ります。
(取材・構成=不破由妃子)
トゥザでの経験が、2年後のマカヒキにつながり…
2013年、僕はデビュー10年目を迎えていました。2年前の2011年には、初めて年間の勝ち鞍を100の大台に乗せ(109勝)、前年の夏には1カ月間のフランス遠征を敢行。今振り返ると、ジョッキーとして転換期を迎えていた時期だったように思います。
そんな時代を象徴するのが、ハープスター、トゥザワールドとの出会いです。キャプテントゥーレで皐月賞を勝たせていただき、その後はクラシックという大舞台で騎乗する機会も確実に増えていきました。ですが、本命候補になるほどの能力を持った馬の依頼を新馬戦からいただき、デビューからクラシックに向けて歩んで行くという経験は、僕にとってあの年が初めてのもの。しかも、それが牡馬と牝馬、同時に訪れたのが2014年という年でした。
当時は経験が浅く、よくわかっていませんでしたが、やはり“クラシックまで連れて行く”というのは、ジョッキーにとっても特別な仕事なんです。ホースマンにとって3歳クラシックという舞台は、いうなればひとつのゴール地点。限られた時間のなかでさまざまなことを教えつつ、なおかつ結果を出しながら育てていかなければ、そこにたどり着くことはできません。
また、出走するだけで十分な馬なのか、勝ち負けすることを求められている馬なのかでも、仕事の内容が大きく変わってくる。それを初めて教えてくれたのがハープスターであり、トゥザワールドで、クラシックまで運ぶために何をすべきか、どう育てていくべきか、とても考えさせられたし、そこまでの“過程を考える”という経験を初めてさせてくれた馬たちでした。
▲“クラシックまで連れて行く”ということ教えてくれた1頭、ハープスター(C)netkeiba.com
トゥザワールドという馬は