帯広単独開催になっても残り続けたド根性
3月20日に行われたばんえい競馬のクライマックス、ばんえい記念は、初挑戦だった昨年が6着だったメジロゴーリキが、あらためて高重量戦への適性を示して優勝。2着3着には、近年の最強世代と言われてきた6歳のメムロボブサップ、アオノブラックが入り、今後への期待ともなった。
帯広市単独開催後のばんえい競馬は、2014年度から8年連続で年間総売得額のレコードを更新し、2021年度は前年度比105.7%での500億円超となる517億9517万3200円を売り上げた。
それにしてもばんえい競馬廃止の危機から一転、帯広市単独開催となって15年も経ったかと思うと感慨深い。
旭川、岩見沢、帯広、北見という4市で開催されていたばんえい競馬では2006年度、6月中旬に旭川競馬場での開催が終了したところで旭川市が早々と撤退を決めたことで、「ばんえい競馬廃止へ」という報道が出はじめた。
できれば開催を続けたいのが重種馬生産の中心である帯広市で、大都市・札幌から近い岩見沢市も当初は開催継続という方向だった。
結果的に最後の岩見沢開催となったあの夏は、甲子園決勝再試合の記憶とともにある。“ハンカチ王子”と言われた斎藤佑樹投手の早稲田実業と、当時から“マーくん”と呼ばれていた田中将大投手の駒大苫小牧との対戦。8月20日に行われた決勝は1対1のまま延長15回までやって決着がつかず。翌21日に決勝の再試合。
その日、ぼくはたまたま岩見沢競馬場にいた。決勝再試合観戦のためにファンに帰られないようにと当時の主催者が考えたのかどうか。場内の1つのモニターで甲子園の中継を放映し、レースの合間には多くのファンが群がっていた。ばんえい競馬のネット中継でも、試合経過が伝えられた。
夏の岩見沢開催は10月2日に終了。それより前だったか、そのあとだったか。一転、岩見沢市も撤退を表明。開催は秋の北見に移り、帯広市と北見市の2市で開催継続の道が探られたが、北見市もそれを断念。11月27日を最後に北見からもばんえい競馬の火が消えた。
次年度のばんえい競馬が開催されるのかどうかわからない状態で始まったのが12月の帯広開催。新聞などの報道は、ほとんど廃止へという流れとなっていた。
残された道はひとつ。帯広市が単独で開催を続けられるのかどうか。状況はますます廃止へと傾いたが、そこに手を挙げたのがソフトバンクグループ。地方競馬の主催は都道府県・市町村などの地方自治体しかできないが、広報など主催業務の支援として関わることで、2007年度以降の存続が決定した。
存続したとはいえ、帯広市単独ではじまった新生・ばんえい競馬は、厳しいものだった。その2007年度は年間の総売得額が約129億円。そこからじわじわと下がり、地方競馬全体でも平成以降で最低を記録した2011年度の総売上は103億円余り。1日平均では6700万円余りだった。
当時、同じように売上減に苦しんでいた高知競馬では、四半期ごとに予算を精査し、1円でも赤字が出れば即廃止という条件で継続されていたが、帯広市単独開催後のばんえい競馬はもっと苦しかった。予算上の賞金は設定されているが、開催ごとに売上に応じた賞金が支給されるというもの。つまり売上が予算額に達しなければ、出馬表などに明記されている賞金が満額では支給されなかった。当時、賞金+出走手当と、預託料など維持経費との相殺で、年間でプラスになった馬は、おそらく重賞を勝つレベルの何頭かしかいかなかったのではないか。
しかしその2011年度を底に地方競馬全体の売上が回復しはじめたのとともに、ばんえい競馬の売上も徐々にではあるが回復基調となった。その後は地方競馬でもネットでの馬券発売が主流となると売上は上昇を続け、2017年度が219億円、2019年度には310億円、2020年度には483億円、そして2021年度は冒頭のとおりの517億円余りで、1日平均では3億4700万円余りにまでなった。
高知競馬がどん底だったときから現在では売上が約20倍というのは信じがたい驚異的な伸びだが、ばんえい競馬の5倍以上という伸びも相当なもの。他の地方競馬が、2012年10月に始まったJRA-PATでの馬券発売の恩恵があったのに対して、ばんえい競馬はそれがなくての売上上昇だ。
いつ廃止になってもおかしくないような状況から、ばんえい競馬が経済活動として正常に成り立つ状態になったことは、ほんとうに感慨深い。