▲あなたの印象に残っている実況はありますか?(撮影:下野雄規)
「菊の季節に桜が満開」「これが日本近代競馬の結晶だ」いつも競馬の歴史とともに語り継がれてきた“実況”、時には冷静に的確な情報を伝え、時には感動的な歌い上げでレースを見ている私たちの胸を熱くするその“実況”は多くの競馬ファンの記憶に残っていると思います。
そこで、長年競馬を見てきた競馬関係者の方々に印象に残っている名実況アンケートを実施! 誰もが聞いたことのあるあのフレーズから少しマニアックな回答まで…。中央競馬だけでなく、地方、ばんえい、海外レースなど、計20名の方に回答いただきました!
(取材・構成:赤見千尋、大恵陽子)
2012年阪神大賞典(実況担当:関西テレビ・岡安譲アナウンサー)
▲2012年阪神大賞典のギュスターヴクライとオルフェーヴル(c)netkeiba.com
競馬エイト 高橋賢司トラックマン
私が選ぶ名実況は2012年のギュスターヴクライが勝った阪神大賞典。あのオルフェーヴルが3コーナーの大逸走から蘇り、2着に押し上げてきたレースです。関西テレビ系『競馬BEAT』の実況担当は岡安譲アナ、私も解説者として隣にいました。
とにかく色んなことが起こり過ぎて、各馬の動きを目で追うだけでも大変なレースでしたが、それでもこの時、岡安アナの実況は私の耳にはクリアに絶え間なく届いていて、的確な描写、聞きやすさというアナウンサーの仕事、感情を揺さぶられるファンの目線を見事に両立し、このレースを見る者の完璧な代弁者となっていた姿にただただ圧倒されました。
オルフェーヴルも凄いけど、岡安アナも怪物だな、と。オルフェーヴルの動き、レースの描写も見事なんですが、「あのディープインパクトと走ったことのあるトウカイトリック」など競馬愛の深さが垣間見える“らしい”言い回しもたくさんありましたし、最後には「勝ったギュスターヴクライも強かった」と勝者をしっかりと讃えて終わったのも素晴らしかった。
後にこの実況で岡安アナはFNSアナウンス大賞を受賞されるのですが、本当に歴史に残る名実況だったと思います。隣で聞けた私は、この上ない幸せ者です。
2001年エリザベス女王杯(実況担当:ラジオNIKKEI・広瀬伸一アナウンサー)
▲2001年エリザベス女王杯のトゥザヴィクトリー(c)netkeiba.com
競馬エイト 津田照之トラックマン
ラジオNIKKEIの競馬中継の解説のため、広瀬アナウンサーのすぐ横で実況を聴いていました。トゥザヴィクトリーは当時、逃げ馬にカテゴライズされていて、この時も前に行くのだと思っていたら、武豊騎手は内の馬から離して外を走り、1コーナーで内に入れました。
「ユタカさん、何か考えて乗っているな」と思っていたのですが、広瀬アナウンサーは冷静に実況を続け、直線ではテイエムオーシャンが抜けるかなというところにトゥザヴィクトリーが追い込んできて、さらに後ろからローズバド、内からはティコティコタックやレディパステルも来ている、という上位5頭がハナ、ハナ、クビ、クビという大接戦を広瀬アナウンサーは全て馬名を実況できていました。
普段は冷静なイメージの広瀬アナウンサーですが、レース後は珍しく興奮していて、CMに入ると上位5頭すべての馬名を言えたことに喜んでいました。準備も怠らない方で、当時解説3年目の私にとっては「プロの仕事は何たるか」と勉強させてもらいました。残念ながら約7年後、49歳の若さで癌のためお亡くなりになられました。もっと実況を聴きたかったです。
1990年ジャパンカップ(実況担当:ラジオNIKKEI・佐藤泉アナウンサー)
鈴木由希子氏(元・競馬エイトトラックマン)
現役トラックマンだった頃は現場で高性能(?)双眼鏡でしっかり馬の位置取りを確認しながらレースを見ていました。勝負服も覚えているので、実はあまり放送に頼ることはなかったのです。でも、京都競馬場のモニター画面で観戦したこのレースだけは実況頼りで、音声がなければ馬の位置が把握できなかったことを鮮明に記憶しています。
15頭中、中央馬は4頭。地方からジョージモナークの他は外国馬でした。2コーナー過ぎに5番手を走っていた馬が黄色帽なのは分かっても、ゼッケンは内の馬に隠れていました。実況では間を置くことなく、ベルメッツと言われて、「あっ、プロって凄い!!」と感じました。ゴール前は外国馬3頭のデッドヒートでしたが、この馬名もスムーズで、勝ったベタールースンアップに騎乗していたクラーク騎手の回しムチにも魅せられましたが、実況も鮮やかでした。
2008年天皇賞・秋(実況担当:フジテレビ・青嶋達也アナウンサー)
▲2008年天皇賞・秋のディープスカイと先輩ダービー馬ウオッカ(撮影:下野雄規)
競馬コメンテーター 夏目耕四郎氏
まだ牝馬が牡馬混合GIで活躍すること自体が珍しかった2008年秋。天皇賞秋の主役は、ウオッカ、ダイワスカーレットの4歳牝馬2頭。人気もこの2頭が分け合う形で1、2番人気。対する牡馬は古馬の層が薄く、その年のダービー馬で3歳のディープスカイがやや離れた3番人気。
レースは約半年の休み明けで、ややかかりながらハイラップで逃げるダイワスカーレットを各馬が追う展開に。青嶋アナの「600m標識、まだまだ長いぞ。初めての府中です、久々です、ここからです」の声とともに、ハイペースで飛ばしてきたダイワスカーレットが驚異の粘り腰。
そこへ外から「新旧ダービー馬の決着になるのか!」とウオッカとディープスカイが並んで追い込んでくる。さすがに逃げたペースが速すぎて「最内ダイワスカーレット少し苦しくなった」ところへ、「ウオッカ! ウオッカ! ディープスカイ、ウオッカ!」と青嶋アナのテンションも一気にヒートアップ。
ウオッカの単勝馬券を握りしめていた私も、これは勝ったなと思ったところへ「内からもう一度ダイワスカーレットが差し返すぅ!」と信じられない実況が。頼む! ウオッカ! と思わずこちらも声が出たところで2頭の鼻面が並んでゴール。青嶋アナの実況も「大接戦でゴール!」が「大接戦ドゴーーン!」に聞こえてしまうくらいの大絶叫で、どちらだ? どちらが勝った? とゴール後もざわめきが全く止まらないほどの首の上げ下げ。
「牝馬と牝馬と今年のダービー馬。1分57秒2はレコードの赤い文字です」という青嶋アナの声で少し我に返った私だが、今観ても興奮で汗が出て感動で涙が出そうになる名勝負かつ名実況。「牝馬と牝馬と…」古馬GIの最高峰でこんな決着があるとは、間違いなく時代が変わりゆく瞬間の1ページだった。
2021年ジャパンカップ(実況担当:ラジオNIKKEI・米田元気アナウンサー)
▲2021年ジャパンカップのコントレイル(撮影:下野雄規)
大阪スポーツ 赤城真理子記者
『これが、本来の姿だゴールイン! やりました2番コントレイル! 一筋の、消えない思い出を残してターフに別れを告げます。さらば、コントレイル!』
競馬を知らずに記者になった私にとって、「ダービー」の重さは当初理解できないものでした。他のレースと何が違うの? とすら思っていたのです。コントレイルは、そんな私に「ダービー馬の勲章」と「その重さ」の意味を教えてくれた馬でした。
初めてデビュー前から取材したダービー馬。社杯である東スポ杯を勝つ前に、矢作厩舎の方から「未来のダービー馬」だと紹介していただいた馬。無敗の三冠の重圧がのしかかっていた菊花賞前ですら、洗い場などで取材させてもらえていたなんて、よく考えれば普通ではありません。私たち報道陣の後ろにはファンがいるから──。その信念ゆえだったと思います。
菊花賞後に勝てないレースが続き、陣営だけが知っている、いえ、“信じている”コントレイルの強さが「本当は弱かったのでは…」「この世代はメンバーが…」などとにわかに疑うような声が沸き始めていたこと、トレセンにも伝わってきていました。そんな声はきっとほんの一部。スター馬には必ずありうるバッシングの一つ。でも、もどかしい思いの中であがいている方々にとっては、もしかすると真綿で首を絞められるような効き目がありはしないだろうかと危惧していました。
現役最後のレース、勝っても負けても種牡馬入りが決まっていた21年のジャパンC前。福永騎手は「この馬の強さに、もう傷をつけたくない」と報道陣に語っていたのを覚えています。
そういう切なくなるほどの陣営の思い、また彼を信じ続けていたファンの方々の思いを全て包み込んで、天に雄叫びを上げてくれているような──そんな実況が、冒頭の米田アナウンサーの言葉でした。
そして、「さらば、コントレイル」で締めることで、「ありがとう」の言葉を言うバトンはファンに渡してくださったことも有り難かった。
あの実況があったから、福永騎手の「この馬は本当に強いんです」もより心に響いたのだと感じています。
ダービー馬の称号、その重みを教えてくれたコントレイルのラストラン。一筋の消えない思い出として、“名実況”とともに私の心に刻まれています。
フリーカメラマン 三木俊幸氏
「一筋の消えない思い出を残して、ターフに別れを告げます。さらばコントレイル!」
撮影しているとゴール前は実況が聞こえないことが多いですが、ゴール後だったのでうっすらと実況が聞こえていて、その場では「いいフレーズだな」と思う程度でした。
でもファインダー越しに素晴らしいレースと引き上げてきた時の福永騎手や金羅助手が涙する感動的なシーンを目にした後に改めて実況を聞くと、初めてコントレイルを撮影した東スポ杯、ホープフルS、コロナ禍になりテレビ観戦だった三冠、その後の勝てない時間、そしてジャパンC。その全てが走馬灯のように蘇ってくる、心に刺さる名実況だったと思います。
1997年日本ダービー(実況担当:フジテレビ・三宅正治アナウンサー)
▲1997年日本ダービーのサニーブライアン(撮影:下野雄規)
日刊ゲンダイ、netkeiba地方競馬担当 稲葉訓也カメラマン
「これはもうフロックでも何でもない。2冠達成!!」
競走馬を撮ることに興味を持ち始めた高校生の頃にグッときた実況です。皐月賞を制していながら、6番人気という評価でレースを迎えたサニーブライアンと鞍上・大西直宏騎手。しかし、絶妙なペース配分で逃げ切って皐月賞の勝利がまぐれでないことを証明して見せました。それを代弁したゴール前の実況が、今でもダービーを迎えるたびに思い出す名実況です。
2000年日本ダービー(実況担当:フジテレビ・三宅正治アナウンサー)
▲2000年日本ダービーのアグネスフライトとエアシャカール(撮影:高橋正和)
週刊ギャロップ 松永昌也記者
「河内の夢か、ユタカの意地か」
競馬記者になる前で、ただのファンでしたが、ゴール前の叩き合いはしびれましたね。どちらが勝ったのか分かりませんでしたが、確定したときには、なんか納得させられてしまいました。ちなみに、僕の夢や意地は見当たりませんでした。
2011年六甲盃(地方・園田競馬場・場内実況:吉田勝彦アナ)
ラジオ大阪「OBCドラマティック競馬」実況、園田・姫路競馬場内実況 三宅きみひとアナウンサー
「さぁこの辺りから外3番レッドゾーンが追い上げていきます。なんと一気に4頭5頭6頭まとめてかわしてここで一気に2番手に上がりましたが、先頭かわっております。10番のマルヨフェニックス、このマルヨフェニックスの外に3番レッドゾーンが並びかけるが…『内は持ったまま…』。10番のマルヨフェニックス、余裕じゅう〜ぶんで4コーナーカーブ手前。」
こうやって文字にしただけでは、どこが凄い実況? どこに心に響く要素が?…と思われるかもしれません。
私が兵庫競馬の実況アナに加わらせていただいたのが2010年12月。その3ヶ月後に実況席の真後ろで聞いたレジェンド吉田勝彦アナの実況が衝撃で今でも忘れられません。
競馬の実況はスタートからゴールに向かって徐々に盛り上がっていき、ゴールの瞬間に最高潮を迎える・・・それが当たり前だと思っていました。しかし、この六甲盃の実況で馬の強さを表現するのにこんな方法があるのかと常識が覆されました。盛り上げるのではなく、トーンを落とすことで表現できる馬の強さ『内は持ったまま・・・』もうこの一言で、残り400mもあるけれど決着がついたことをトーンの変化でファンに伝えた実況。そしてそれを聞いた場内のファンのため息。ここにこの六甲盃の全てが集約されています。
吉田勝彦アナ、74歳の作品。百聞は一見に如かず、「六甲盃 マルヨフェニックス」で検索して聴いてみて下さい。真似したいけど、そう簡単にはできない実況の神様の妙技。兵庫県競馬実況の継承者として、私もレースの中におけるこの絶妙な緩急をいつかは身につけてみせます!
2001年中山大障害(実況担当:ラジオNIKKEI・木和田篤アナウンサー)
レーシングライター 辻三蔵氏
「踏み切ってジャンプ」
いまや山本直也アナの代名詞ですが、山本直也アナが「ファンの高揚感を高める」感じなら、木和田アナは「レースの呼吸を整える」ために、使っていました。
2001年中山大障害は、今村聖奈騎手の父・今村康成騎手(元)が、J・GIを勝ったレースです。J・GI史上最高の単勝配当11,470円。最低10番人気ユウフヨウホウが、絶対王者ゴーカイを負かす番狂わせの一戦でした。出走馬10頭中4頭が落馬。木和田アナの落ち着いた声での「踏み切ってジャンプ」のおかげで、安心して観戦できたのを覚えています。
最低人気のユウフヨウホウが勝った後、観客席から拍手が沸き起こりました。木和田アナの、優しい実況が感動を引き出した一因だと感じています。
2013年有馬記念(実況担当:フジテレビ・青嶋達也アナウンサー)
▲2013年有馬記念のオルフェーヴル(撮影:下野雄規)
フリーアナウンサー 大村麻衣子氏
「目に焼き付けろ。これがオルフェーヴルだ。強すぎる、これがラストランなんて信じられない」
オルフェーヴルのラストランの記憶が鮮明に残っています。ファンが感じた熱狂と衝撃を代弁してくれた「まさに!」というフレーズでした。
1989年毎日王冠(実況担当:フジテレビ・堺正幸アナウンサー)
競馬評論家 古谷剛彦氏
「オグリ来るのか!? オグリ届くのか!? イナリワンも凄い! イナリワンもすごい脚だ! さあ3頭並んだ! 3頭並んだ! そして2頭になった! 並んで、並んでゴールイン! 外オグリ! 内イナリワン!」
ものすごい叩き合いだったからこそ、ごく普通のフレーズに名実況を感じました。地上波らしく、視聴者の気持ちを代弁するかのようなオグリキャップの様子を伝えているのが素晴らしい。基本があっての応用で、すごいレースだったからこそしっかり内容を伝え、そこに視聴者の気持ちを入れ込んだ点で、個人的に名実況だと思います。
2002年日本ダービー(実況担当:ラジオNIKKEI・白川次郎アナウンサー)
▲2002年日本ダービーのタニノギムレット(撮影:下野雄規)
フリーアナウンサー 原山実子氏
「タニノギムレット タニノギムレット タニノギムレット 突き抜けて今ゴールイン!」
これほどシンプルな言葉で、脚色、外からかわすタイミング、強さを表した実況は、白川次郎さんならではだと思いました。
1970年皐月賞(実況担当:ラジオ関東・窪田康雄アナウンサー)
馬サブロー専属評論家 長谷川仁志氏
「アローかムーティエか、アローかムーティエか、やっぱりムーティエだ!」
関東の星アローエクスプレス、関西の雄タニノムーティエの一騎打ち。関東の人間はアローを応援していたけれど、スプリングSに続いてまたもムーティエが差し切ったレース。関東ファンの気持ちが表れていると感じた思い出があります。
1976年菊花賞(実況担当:関西テレビ・杉本清アナウンサー)
勝馬 野口誠記者
「ムチなどいらぬ。押せテンポイント」
内からグリーングラスが抜けているけれども、テンポイントに思いを込めている実況。あの当時、夢中で競馬を見ていた時代で、しびれました。
1998年ブリーダーズCマイル(海外実況)
競馬アナリスト 斎藤修氏
「ダホス、カムバック! アンビリーバボー! センセーショナル!」
1996年10月26日、ウッドバイン競馬場で行われたBCマイルを制したダホス。その後2年もの休養があって、復帰戦となった1998年10月11日の一般戦を勝利。そして臨んだ1998年11月7日、チャーチルダウンズ競馬場で行われたBCマイルは5番人気。直線半ばからホークスリーヒルと一騎打ちとなり、一旦はホークスリーヒルに出られたものの、ゴール前で差し返して2年ぶり復活の勝利。日本人でもわかる簡単な単語の羅列だけれども、実況アナウンサーは、あの僅差でよく勝利を断言できたなと。何度見ても感動。もちろん現地で見ていました。
2011年ばんえいアイドルマスター記念(実況担当:井馬博アナウンサー)
フリーアナウンサー 浅野靖典氏
ゴール後の「カネサブラックでとかちつくちて〜」
井馬さんは実況したすべてのレースを録音して、レース後に毎回反省しているというかた。実況中は体を前後に揺らして、自分もレースに参加しているような雰囲気がありました。その井馬さんが、たぶん何のことだか訳わかっていなかったであろう『アイドルマスター』の企画で、あの声で決め言葉の「とかちつくちて〜」をハリのある声で言ったことで感動、そして笑顔をもたらしてくれました。
1993年エリザベス女王杯(実況担当:関西テレビ・馬場鉄志アナウンサー)
▲1993年エリザベス女王杯のホクトベガ(左・白帽)(c)netkeiba.com
スポーツ紙記者A
「ベガはベガでもホクトベガです」
当時はまだ高校生で、競馬はまだGIだけを見ていた程度。このレースは牝馬三冠という偉業に挑むベガを全力で応援するしかない純粋な頃でした。
そのベガが直線で伸びあぐねる中、勝ったのは内からするすると抜けてきたホクトベガ。春二冠に出走していたとはいえ、頭の中で「どの馬?」と疑問符が渦巻くなか、目を覚ますように耳に届いたのが、このフレーズでした。冠名が同じでもない二頭を引っかけた、あの実況は驚きの記憶とともに、今も鮮烈に覚えています
1997年天皇賞・春(実況担当:関西テレビ・杉本清アナウンサー)
▲1997年天皇賞・春のマヤノトップガン(撮影:高橋正和)
スポーツ紙記者B
3200mの長丁場レースでありながら、中盤から乱れたペースとなった道中を的確に伝えていました。最後の直線ではサクラローレルとマーベラスサンデーの一騎打ちに釘付けとなっていたところに「大外から1頭、何か突っ込んでくる。トップガン来た!×3」という、マヤノトップガンの勢いに合わせた実況が実に気持ちよかったです。その後、発売されたCD「杉本清のGI〜完全実況 97前期〜」を購入し、完コピできるぐらい何回も聴いた記憶に残る実況です。
2017年中山大障害(実況担当:ラジオNIKKEI・山本直アナウンサー)
▲2017年中山大障害のオジュウチョウサンとアップトゥデイト(撮影:下野雄規)
スポーツ紙記者C
オジュウチョウサンとアップトゥデイトの激闘で生まれた「さあ、前王者か! 現王者か!」
障害の前王者のアップトゥが引き離して逃げ、じりじりと現王者のオジュウは差を詰めていきます。レースは2頭だけの世界になり、最後の直線の入り口で、ひと呼吸置いて飛び出した超名フレーズ。当時、このフレーズが出た瞬間、モニター越しにも場内のテンションが一気に上がったことが分かりました。
アップトゥに騎乗していた林満明元騎手は、障害レースに2000回騎乗したレジェンド。敗れたとはいえ、長い騎手人生で「オレのベストレース」と言うほど思い入れが強く、ファンの心にも残り続ける一戦となりました。