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崩れたジンクスは真逆へ アドマイヤベガでダービー連覇、そして3連覇を阻む兄弟子との闘い/第2回

  • 2022年07月31日(日) 18時01分
“ジョッキーズヒストリー"

▲99年ダービー連覇、そして3連覇を狙った00年ダービーを振り返る(写真は06年共同通信杯勝利時・撮影:下野雄規)


レジェンド・武豊騎手の歴史をご本人と親交の深いライターの平松さとし氏が、全12回にわたって振り返る「ジョッキーズヒストリー」第2回のテーマはアドマイヤベガでのダービー連覇、そして3連覇を狙ったエアシャカールとのダービーです。

98年遂に掴んだダービージョッキーの称号、一度崩れたジンクスは真逆に進み翌年99年ダービー連覇を成し遂げます。その時上位人気を争ったのはナリタトップロードにテイエムオペラオー、鞍上はともに20代の若手騎手、30歳のダービージョッキーは今度は若手を阻む側になります。しかしさらに翌年、武豊騎手のダービー3連覇を阻んだのは兄弟子である河内洋騎手でした。騎手同士が織りなす熱い2年間のダービーを振り返ります。

(構成=平松さとし)

ダービーを巡る後輩騎手、そして先輩騎手との物語


 1998年、念願のダービージョッキーとなった武豊騎手。

 前回記したようにスペシャルウィークとのタッグで、デビュー12年目、29歳の時の話。決して遅きに逸したわけではないのだが、デビュー当初から大活躍をして、他の大レースをコレクションしまくっていた天才ジョッキーであるが故に「やっと勝てた」という印象を受けたファンも多かったのである。

 しかし、そんな印象を払拭したのもまた武豊騎手自身だった。

 ダービー初制覇から1年後の1999年6月6日、彼はダービー2勝目を見事に連覇で決めてみせた。

 コンビを組んだのはアドマイヤベガ。母のベガも武豊騎手とのタッグで桜花賞(GI)やオークス(GI)を勝った名牝だった。

「お母さんも良い馬だったけど、このアドマイヤベガという馬がまた素晴らしい馬でした。皐月賞を6着に敗れた事でダービーでは少し人気を落としていたけど、自分の乗り方一つで充分に巻き返してくれるという自信はありました」

 武豊騎手がそう語るように、皐月賞(GI)では1番人気の支持を受けていた。しかし、ダービーは2番人気。1番人気は皐月賞で3着に好走していたナリタトップロードに譲っていた。更に、差のない3番人気が皐月賞を制したテイエムオペラオーだった。それぞれの単勝オッズはナリタトップロードとアドマイヤベガが全く同じ3.9倍(得票数の差で1番人気はナリタトップロード)、テイエムオペラオーは4.2倍。4番人気以下は一気にオッズ差が開き、上位支持を受けた3頭が3強という下馬評で、第66回日本ダービーは幕を開けた。

 ちなみに先述した通り武豊騎手はこの時30歳だったが、ナリタトップロードの渡辺薫彦騎手(当時、現調教師)は24歳、テイエムオペラオーの和田竜二騎手に至ってはまだ21歳。武豊騎手より若い世代の2人が、ダービージョッキーを目指して有力馬に騎乗していたのだ。

 そして、レースは実際に3強対決で決着する事になる

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1965年、東京都出身の競馬ジャーナリスト、ターフライター。国内だけでなく、海外での取材も精力的に行なっており、コラムの寄稿や多数の著書を出版するなど幅広く活動している。

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