▲競馬界イチ?仲良しな兄弟対談後編!
競馬界には多くの兄弟がいます。武豊騎手・幸四郎調教師に代表されるほか、netkeibaでコラム連載中の藤岡佑介騎手も弟・康太騎手との兄弟ジョッキー。
そんな兄弟の中で、最近特に活躍を見せるのが安田景一朗調教助手と安田翔伍調教師。かつてはともに父・安田隆行厩舎の調教助手として屋台骨を支え、翔伍調教師は18年に厩舎を開業。オメガパフュームで史上初の東京大賞典4連覇を果たすなど活躍を見せる一方、「隆行厩舎は鬱陶しいくらい勝つ(笑)」と笑うくらい、景一朗助手も父の厩舎で手腕を発揮しています。
前編では兄が競走馬、弟が騎手になりきって競馬ごっこをしていた少年時代をご紹介しましたが、後編では調教助手として多くの名馬に携わった思い出へと話は進みます。ロードカナロアやカレンチャンといった名馬とともに奮闘した「あの馬」のことも、今だから話せる忘れられない1頭のようです。
(取材・構成:大恵陽子)
「カレンチャン勝ちますよ」で、応援を切り替えた二人
──ともに父・安田隆行厩舎で働いている時に印象に残っている馬を挙げるとすれば?
景一朗助手 やっぱりロードカナロアじゃないですか。あと、カレンチャン。
翔伍師 いや、ダッシャーゴーゴー。
景一朗助手 それはなぁ〜。あのね、ダッシャーゴーゴーの調教には僕が乗っていたんですけど、いつも翔伍が乗っている馬に負けてね。1回も勝ったことがないんですよ。スプリンターズSは直線で前が壁になってどん詰まりでしたからね。
翔伍師 2番人気だったんですよね。
その年、僕は夏に北海道へ行っていて、カレンチャンと一緒に帰ってきました。カレンチャンは8月のキーンランドCはなんだかイマイチの状態だな、と感じていても勝って、レース後に反動がくるのかなと思ったら、グッと上がってきたんです。それを調教師に伝えたんですけど、調教師はもうダッシャーゴーゴーが主役でレースを迎えているので、こっちの話をあんまり聞いてなかったんですよ。シンガポールのロケットマンとかも出ていて、相手にすごく不安がっている状況で、僕は担当者と「これでも勝てへんのかな!?」と話していました。
▲2011年スプリンターズSのカレンチャンは絶好調だった(撮影:下野雄規)
景一朗助手 それ、言ってやぁ……。
翔伍師 残り1ハロンの時にうちの親父は、ダッシャーゴーゴーを見て「あぁーっ、詰まってる。あぁー」って、もどかしさを出してるんすよ。その時に「いや、カレンチャン勝ちますよ」「え? カレンチャンどこ? あ、勝つ! カレンチャンッ! カレンチャンッ!」って切り替えましたからね。
景一朗助手 覚えてますわ、ホンマに。僕も切り替えていました。もう、忘れもしない。
翔伍師 だから、1頭挙げろって言われたら、ダッシャーゴーゴーですね。
景一朗助手 いや、カナロアにしてよ(笑)。
▲2011年CBC賞勝利時のダッシャーゴーゴー(c)netkeiba.com
──ロードカナロアには翔伍調教師がずっと乗っていたんですか?
翔伍師 そうですね。
景一朗助手 僕は2歳の時に1回か2回しか乗ったことがなくて、全然分からなかったです。翔伍は「これ、ちょっとヤバい(いい意味で)」って言っていましたけど、当時の安田厩舎はまだGI初制覇をするかしないかくらいで、“いい背中”っていうのが分からなかったです。「すごいんや」と思って新馬を見たら、馬なりで6馬身差で勝利でしょ。
カレンチャンにもデビュー前にちょっと乗せてもらいました。引退レースの香港に行く時、翔伍がカナロアに乗って、僕がカレンチャンに3年ぶりくらいに乗る機会があったんですけど、別馬でビックリしました。「これがいい馬の背中なのか!」っていうのはその時に初めて知りました。
──お二人が安田隆行厩舎に在籍している時は半々くらいで厩舎の馬に乗っていたんですか?
景一朗助手 折り合いにちょっと難がある馬とか、乗り難しい馬を翔伍にお願いしていました。そういうのに乗るのが好きだったんで。
翔伍師 好きだったし、二人が厩舎を動かそうとするなら、噛み合わなかった時に弊害が出るから、放牧に出ている馬のことや在厩馬の入れ替えなど厩舎全頭の把握は兄にやってもらって、僕は馬に乗ることに集中するように分けていました。
──17年に翔伍調教師が調教師試験に合格し、いまや押しも押されぬトップステーブルの一員に仲間入りしました。現在の活躍ぶりをお兄さんはどう見ていますか?
景一朗助手 やっぱり気にして見ますし