先週の土曜日、新潟芝1400mで行われたダリア賞に、大井の新馬戦で驚異的な勝ち方をしたシテイタイケツ(牡2歳、父バゴ、大井・上杉昌宏厩舎)が参戦。11頭立ての10着に終わったが、前日発売では一時1番人気になるなど注目された。
私も単複の応援馬券を買って楽しませてもらった。
大井のダートでも追走に手間取っていたので、中央のスピード馬が相手では、序盤でまったくつい行けず、20馬身以上離された後方のまま終わってしまう可能性もあると思っていた。が、道中は予想よりずっと綺麗なフットワークで走り、メンバー中3位タイの35秒6の末脚で追い上げた。
12代母が「小岩井の牝系」のビユーチフルドリーマー。戦後初の三冠馬シンザンやダービー馬タケホープなどのほか、最近ではテイエムオーシャン、ホエールキャプチャなどもこの母系の出身だ。
3代母ナギサにクロフネ、2代母ネオカラーにステイゴールド、そして母サットーにバゴを配合して誕生したシテイタイケツが、芝でのポテンシャルを秘めていることは間違いない。
今後も、圧倒的なパフォーマンスを見せたダートはもちろん、芝でもどんな走りを披露してくれるのか、楽しみに待ちたい。
そうした話題があった一方で、非常に残念な報せも届いた。
ニュージーランドで今月3日のレース中に落馬し、意識不明となっていた柳田泰己(たいき)騎手が、9日、搬送先の病院で亡くなったのだ。28歳だった。
千葉県出身の柳田騎手は、高校時代、オーストラリアに留学したとき競馬に興味を持ち、騎手を目指すようになった。帰国後乗馬を始め、大学を1年で中退して、育成牧場で働くようになる。
そんな彼が本格的に競走馬に乗る訓練を受けたのは、鳥取の大山ヒルズにいたときだった。指導にあたったのは、乗馬インストラクターの佐藤弘典さん。当時、大山ヒルズのキッチンマネージャーでもあった佐藤さんは、相馬野馬追の中ノ郷の騎馬武者として、本稿でも何度か紹介した人だ。
「柳田君は、人一倍努力家で、真面目で、ストイックすぎるくらいの青年でした。大山ヒルズで実質的に一から馬乗りを覚えたわけですが、非常にセンスがあり、吸収力がありました。当初から騎手になりたいと夢を抱いていて、本当に外国で騎手になったのだから、すごいと思います。それだけに、悲しいですし、残念でなりません」
柳田騎手は2013年にオーストラリアに渡り、いったん帰国してから、2016年の秋、ニュージーランドへ。24歳になった2017年12月、同国で騎手デビューを果たした。昨シーズンはキャリアハイの42勝を挙げ、1月のG2ウェストバリークラシックで重賞を初制覇。3月のG3サンラインヴァーズで重賞2勝目を挙げていた。騎手時代にホーリックスでジャパンカップを制したランス・オサリバン調教師の厩舎で働きながら、通算1577戦162勝の戦績を残した。24歳という遅いデビューでありながら、5年足らずの間に異国の地でこれだけの実績を残したのは驚嘆に値する。何度挫折しても諦めず、自らの力で道を切り拓いた。
佐藤さんはこうつづける。
「自慢の教え子でした。礼儀正しくて、ニュージーランドに行ってからも周りから愛されていたことがわかります。ちょくちょく連絡をくれていましたし、いろいろ思い出してしまいます。大山にいたころ彼は車を持っていなかったので、私が運転してほかの子たちと一緒に魚釣りに行ったりしていました」
大山ヒルズ時代の柳田騎手の同期に、現在、栗東・池江泰寿厩舎に所属する池本調教助手がいた。下の写真は、大山ヒルズで佐藤さんが指導用に撮影したもので、前が池本助手、後ろが柳田騎手である。
大山ヒルズで馬乗りを練習していたころの柳田泰己騎手(後ろ)。騎乗馬はタマモグレアー。佐藤弘典氏提供
池本助手は、今年の天皇賞・春でカラ馬となってゴールしたシルヴァーソニックなどを担当している。
「池本君も、天皇賞のアクシデントで悔しい思いをしたでしょうね。よく一緒に騎乗練習をしていた彼と柳田君は、『お互い頑張ってGIを勝とう』と話していました。悲しいし、悔しいですけど、柳田君は、短い生涯でしたが、中身の濃い人生を送ったと思います。本当に、非の打ち所のない、素晴らしい若者でした」
そう話した佐藤さんの声から、柳田騎手と出会えたことに感謝し、時間を共有したことを誇りに思っていることが伝わってきた。
これからというときの事故だっただけに残念でならないが、私たちも、異国で輝いた「柳田泰己」という素晴らしい日本人騎手がいたことを誇りに思い、その存在を永く胸にとどめておきたい。