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「これは次元の違う馬」武豊騎手がディープインパクトをダービーへ導くまでの歩み/第5回

  • 2022年08月21日(日) 18時01分
“ジョッキーズヒストリー"

▲ディープインパクトでの4度目のダービー(撮影:下野雄規)


レジェンド・武豊騎手の歴史をご本人と親交の深いライターの平松さとし氏が、全12回にわたって振り返る「ジョッキーズヒストリー」第5回はディープインパクトと制した4度目のダービーです。

初めて跨った時に「これは次元の違う馬だ」と評したという後の世界的な名馬・ディープインパクト。デビュー時からダービーを意識したというその馬を実際にダービー制覇へ導くまでの天才騎手の歩みとは…。管理した池江泰郎調教師のコメントとともに衝撃のダービーを振り返ります。

(構成=平松さとし)

名馬を見抜く天才騎手の「先見の明」


 1987年のデビュー以来、常にトップを走り続けた武豊騎手。当然、数多の名馬とタッグを組み、その背中を知って来た。そんな名手が、初めて跨った時に「ついに現れた!」と感じた馬と出会ったのは2004年の事だった。

 その馬は名をディープインパクトといった。

「調教で初めて騎乗した際に“これは次元の違う馬だ”と感じたものです」

 後に武豊騎手はディープインパクトの走りを「飛んだ」と語る事になるが、実際に誰よりも一完歩が長いにもかかわらず、脚の回転速度はどの馬よりも速かった。つまり、長い距離を短時間で走れたわけで、感性に優る天才ジョッキーが最初から“凄い!!”と感じるのもある意味、当然だったのかもしれない。

 それほどの名馬だから、デビュー時から「ダービーを意識した」(武豊騎手)のも自然の成り行きだった。

 04年12月、阪神競馬場で行われた芝2000メートルの新馬戦を快勝。陣営からは一瞬、すぐに2戦目を使おうかという案も出たそうだが、鞍上がこれにかぶりを振ったという。

「相当、モノが違う馬だからクラシックを意識して大事に使っていくのが良いと思いました」

 その進言に首肯したのが池江泰郎調教師(引退)だった。天才騎手は言う。

「池江先生は騎手上がりの調教師で、乗り役の意見も凄く大切にして聞いてくださいました」

 こうして2戦目は年明け、05年1月の若駒Sとなった。すると、ここでも後の無敗の3冠馬は驚くべきパフォーマンスを披露する。7頭立ての最後方から進み、4コーナーでもまだ1頭かわしただけだったが、最後の直線で持ったまま先行勢を一蹴。最後は2着ケイアイヘネシーに5馬身の差をつけてゆうゆうとゴールラインを通過した。

“ジョッキーズヒストリー"

▲ディープインパクト伝説のレースとして名高い2005年若駒S(c)netkeiba.com


「やはり、考えていた通り、走る馬ですね」

 そう語った武豊騎手は笑みを見せた。そして、池江泰郎調教師は当時、次のように語った。

「さすがユタカ君。先見の明があったし、思惑通りクラシック本番でも好勝負になるという確信を持てる競馬でした」

 ただ、全く不安がなかったわけではないだろう。エンジンがかかってからのモノ凄い爆発力は諸刃の剣。もし、ゴーサインを出す前にエンジンに火が点れば、暴走しかねない。だからこその後方待機策かと推察出来た。

 3戦目、4戦目も同様の競馬ぶりだったが、この2戦はいずれも中山競馬場の2000メートルが舞台となる弥生賞(GII)と皐月賞(GI)。決して追い込みが利きやすいロケーションではなかったが、我関せず後方からに徹したのも、天才騎手がダービーを意識していたからだろう。

 結果、決して万全ではないと思われた弥生賞を勝利すると、スタートで落馬寸前の躓く不利があった上、道中他馬と接触した皐月賞も優勝。デビュー以来4戦4勝で日本ダービー(GI)に臨む事となった

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1965年、東京都出身の競馬ジャーナリスト、ターフライター。国内だけでなく、海外での取材も精力的に行なっており、コラムの寄稿や多数の著書を出版するなど幅広く活動している。

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