史上最多の4頭の日本馬が臨んだ第101回凱旋門賞を制したのは、イギリスの5歳牝馬アルピニスタ(父フランケル)だった。
日本馬は、タイトルホルダーの11着が最高で、ステイフーリッシュは14着、ディープボンドは18着、ドウデュースは19着。タイトルホルダーは勝ち馬から13馬身ほど離され、ステイフーリッシュはさらに5馬身以上、ディープボンドはそこから18馬身、ドウデュースはさらに6馬身後ろのブービーという厳しい結果だった。
勝ちタイムは2分35秒71。今年の日本ダービーの2分21秒9より14秒近く遅かった。
もともと重くなっていた馬場が、発走直前から降り出した強い雨でさらにタフになり、日本馬は能力を発揮することができなかった。
しかし、オルフェーヴルが一時は圧勝かと思われた2着になった2012年の勝ちタイムは2分37秒68で、同じく2着となり、キズナが4着だった翌13年は2分32秒04。ナカヤマフェスタが2着だった2010年は2分35秒3。エルコンドルパサーが「勝ちに等しい」と言われた2着に粘った1999年は2分38秒5もかかっていた。
時計の速い日本で結果を出しながら、タフなフランスの馬場でも好勝負してきた日本馬もいたのだから、馬場云々は言い訳にならない。陣営はそれをわかっているだけに、レース後のインタビューで見せた表情は複雑だった。雨の多い時期に、路盤が日本のそれとは異なるパリロンシャン競馬場が舞台となることをわかったうえで出走させている。さらに、過去に惜しいところまで来た日本馬と、能力的に遜色のない馬たちを連れてきたという自負があるだけに、口が重くなる。
ドバイや香港などの国際レースを見れば、日本馬の水準が世界トップクラスにあることは明らかだ。そのなかでも上位の馬たちを、過去の試行錯誤を生かし、レース間隔や輸送法、滞在場所や調整法などを工夫して、納得のいく状態に仕上げたのに、この結果。力負けではないはずなのだが、「強い馬が勝つ」のではなく「勝った馬が強い」ということになる競馬においては、やはり、力が足りなかったと言うしかないのか。
凱旋門賞は日本の競馬とは別種、とも言えるが、同じメイントラックの芝で、同じチャンピオンディスタンスの2400mでレースをしている国の代表が、日仏両方で結果を出してこそより大きな価値がある、と思いたい。
タイトルホルダーは、ノメってはいなかったが、日本で走っているときより(おそらく馬が自分で)ストライドを小さくして対応していた。結果論だが、小さなストライドでの速度の上げ下げを、あのコースで一度でも経験していれば、違ったような気がする。
ステイフーリッシュは、前に行けなかったというより、自分で加減するような走りに見えた。レース後も、まだ余力がありそうな様子だった。
ディープボンドは、調教でもレースでも下を気にしていないように見えたが、いわゆる、目に見えない疲れがあったのか。
ドウデュースは、回転の速い走法からして重い馬場をこなせそうに思われたが、本来の抑え切れないほどの活力に溢れた走りが見られなかった。ずっと右手前で走ろうとするので、左回りのドバイやアメリカのほうが力を発揮できるのかもしれない。
これだけ馬場が悪く、時計が遅いのだから、ダートで強い馬を連れて行けばいいという声も上がっている。が、年によっては、日本とそう変わらない2分20秒台半ばで決着することもある。また、日本のダートで強い馬は、アメリカの中距離以下のダートのスピード競馬を勝ち抜いてきた血統の馬が多いので、極限のつばぜり合いでどうなるかは、それこそ、やってみないとわからない。
それにしても、あんなに可愛い顔をしたアルピニスタが、あのタフな馬場をモノともせず、豪快に抜け出してきたのには、驚かされた。
2着になったヴァデニのクリストフ・スミヨン騎手は、9月30日にサンクルー競馬場で行われたレース中、外の馬に乗っていたロッサ・ライアン騎手に肘打ちをして落馬させ、60日間の騎乗停止となっていた。死亡事故につながりかねない危険な行為で、個人的には、この裁定は甘すぎるように思う。
いろいろな思いが交錯したなかで、あらためて確認できたのは、私たちは毎年凱旋門賞を楽しみにしているし、そして、間違いなく凱旋門賞は面白い、ということだ。
さて、今、一冊にまとめるために改稿している競馬ミステリーの中身に関して、いろいろ知恵を借りるべく、飯田祐史調教師に連絡した。私は数年前に携帯電話の番号を変えたので、SNSで「以前アメリカに一緒に行った島田です。今電話しても大丈夫ですか」とメッセージを送った。本当に私かどうかの確認をしたあと、「今、厩舎回りをしているので、10分ほどしたらこちらからかけ直します」と返信が来た。
午後4時に夕カイバを与え、それから1時間半ほどすると、ちょうど水桶の水がなくなっている馬もいたりするので、自厩舎にいるときは、いつもひとりで見回りをしているのだという。
教えてほしかったのは、飯田師が管理しているメイショウダッサイのような障害の一流馬が、どんな形でレースに向かっているか、ということだった。具体的には、どのくらいのペースで「練習」として障害を跳ばせ、追い切りは平地のレースに出る馬と同じようにしているのか、それとも障害コースで行うのか、といったことだ。
馬によっても、騎手によっても違うが、という前提で、いろいろなパターンと、障害を跳ばせることによるプラス面などについて、じっくり話してくれた。踏み切りのタイミングなどはデリケートなので、騎手と呼吸を合わせることが、平地のレース以上に大切になってくるようだ。
飯田師は読書家で、移動中に文庫を読むことが多いという。私がよく知っている作家で、彼も何冊も作品を読んでいる人が、おどろおどろしいシーンの多い作品のイメージとは対極的な紳士で、朝型で、かつてはスポーツマンだった……といった話をしたら、「いやあ、今日は、それを知ることができただけでよかったです」と言ってくれた。気を遣ってそう言ってくれたのかもしれないが、私も嬉しかった。
飯田師とゆっくり話したのは久しぶりで、とても参考になったし、何より、こういう人と馬の話をするのはメチャメチャ楽しい、ということをあらためて実感した。
よくないニュースのほうが大きく取り上げられがちだが、素晴らしいホースマンもたくさんいるのだということを、もっと伝えていきたい。