男は優しいほうがカッコいいと田原成貴さんを見て思った
本稿がアップされる10月20日、木曜日、スポーツ誌「Number」の競馬特集号が発売される。特集タイトルは「常識を疑え。」。私は、田原成貴さんのインタビュー記事を執筆した。
「騎手・田原成貴」の現役時代を知らない人もいるだろうから簡単に説明すると、大舞台に強く、華のある、カッコいい騎乗で魅せるスーパースターだった。
デビュー2年目に関西リーディングを獲得し、20代半ばの1983、84年と2年連続で全国リーディングに。「元祖天才」と呼ばれているのは、2年目で関西リーディングとなり、その後、連続して全国リーディングになった騎手が「天才」武豊騎手の前にもいた、という意味がこめられている。
1年ぶりの実戦となったトウカイテイオーを勝利に導いた1993年の有馬記念、先行馬と見られていたマヤノトップガンで鮮やかな追い込みを決めた1997年の天皇賞・春などの手綱さばきは「伝説」になっている。
1998年に騎手を引退し、1999年に厩舎を開業したが、2001年秋に競馬界を離れた。
一昨年、2020年12月に東京スポーツの紙面に登場して競馬メディアに復活。その後も同紙で予想やコラムを披露し、ユーチューブの「田原成貴、語る。」や展開予想などは視聴回数が20万を超える人気コンテンツになっている。
私は、1995年の秋に初めて成貴さんにインタビューし、以降、競馬月刊誌「競馬塾」を中心に、成貴さんに関する記事を書いていた。毎日のように会っていた時期もあったし、一日に5、6回電話で話したこともあった。一度の電話が1時間以上になることも珍しくなかった。
そんな成貴さんに会うのは久しぶりで、メディアの「取材」という形で膝を突き合わせるのはもっと久々なので、会ったら私は泣いてしまうのではないかと思っていた。
同行した編集者にそう伝えると「思いっきり泣いてください」と言われたのが、いざ、会ってみたら、案外平気だった。
それはきっと、成貴さんの見た目が、以前とあまり変わっていなかったからだと思う。これがもし、見るからに痩せこけて、老け込んでいたら泣いていたかもしれないが、少し背中を丸めて歩き、顔をクシャクシャにて笑うところなどはそのままだった。
「Number」の記事を読んでもらうとわかるのだが、話はメチャメチャ面白かった。トウカイテイオーとマヤノトップガンのレース回顧などは、それまで何度も聞いていたので、今回はある程度焼き直しになる覚悟をしていたのだが、ぜんぜんそうならなかった。離れたところから俯瞰し、自身と騎乗馬を客観視するようになったことが、新たな切り口で語ることにつながったのかもしれない。
もともとものすごく頭がよく、座卓を囲んでいるとき「あのね、馬っていうのは――」と中腰になり、割り箸を鞭に見立てて叩く仕草をしながら語るような熱さのある人だった。頭の回転の速さと言葉の切れ味はそのままに、新たな視点を得た「元騎手・田原成貴」の熱い語りが面白くないわけがない。
取材中、成貴さんは、初対面の編集者とカメラマンに「○○さん、飲み物のお代わり、大丈夫ですか」と何度も聞くなど、気遣いを見せた。また、今回の特集のテーマである「競馬の常識」を意識し、そこに寄せていくよう話してくれていることが伝わってきた。
私自身も中高年と呼ばれる年代になって、辛抱が利かなくなり、ワガママになっていることを自覚している。電車のなかで突然キレて暴力を振るう中高年のニュースなどを目にすることも多くなった。成貴さんはどう変わっているかな、と思っていたら、前以上に優しくなっていた。
そんな成貴さんを見て、やっぱり男は優しいほうがカッコいいな、と思った。
京都での取材が終わり、東京へと向かう帰りの新幹線で駅弁を食べているとき、ジンと来てしまった。20年ほど前までは、京都や栗東で成貴さんに話を聞いて、帰路にこうして駅弁を食べたことがしょっちゅうあった。
――あのころと同じことを、今のおれはしているのか。嬉しいな。おれも年を取ったなあ。
そう考えて、ウルウルしそうになったのだ。
あのころは、まさか自分が発毛剤を塗布する未来を迎えるなんて、想像もしていなかった。今調べたら、リアップの発売が1999年6月。成貴さんが騎手を引退した翌年だ。
実は、先月、リアップから、湘南美容クリニックの発毛剤「ヘア・ルネッサンス・アクア(HRアクアスプレー)」に切り換えた。
せっかくいい話を書いている最中なので、そのネタについては、またあらためて記したい。
今回は、JRAが平地競走の負担重量を引き上げたことや、顕彰馬のこと、そして、オジュウチョウサンの引退報道などについても触れるつもりだったのだが、それらについてもまた別の機会に書くことにする。
先日、4回目のコロナワクチン接種を済ませた。何度も同じことを言っているが、早く終息してほしいものだ。