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名門に生まれたお嬢様、メジロドーベル|メジロ終焉とレイクヴィラ誕生の秘話 1/2

  • 2022年10月31日(月) 12時00分
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オークス優勝時のメジロドーベル(株式会社レイクヴィラファーム提供)


 2022年ある一頭の馬が引退した。戦績は15戦1勝。特出した成績を収めたわけではなかった。

 その馬の名前はピンシェル。名牝と謳われたメジロドーベル最後の産駒だ。ピンシェルの馬主だったレイクヴィラファーム代表の岩崎伸道氏にとってこの馬は特別な存在だった。

 その背景には、波乱万丈な日々を共に生きた、人と馬の物語があった。

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ピンシェル出産当初(株式会社Creem Pan)


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岩崎伸道氏(株式会社レイクヴィラファーム提供)


隆盛を極めたメジロ牧場


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1991年宝塚記念を優勝したメジロライアン(株式会社レイクヴィラファーム提供)


 レイクヴィラファームの代表、岩崎伸道氏は、50年以上のキャリアの中で数多くの名馬に関わってきた。そのスタートは後に天皇賞馬メジロティターン、牝馬三冠のメジロラモーヌなど重賞勝ち馬をあまた輩出し、競馬界にその名を轟かせたメジロ牧場だった。

 岩崎氏はメジロ牧場創設時、日本大学の馬術部員だった。当時立教大学馬術部の監督だったメジロ牧場の代表(北野豊吉氏)の次男と日大馬術部の監督が親しかったことから、牧柵作りなど猫の手も借りたいほど多忙だったメジロ牧場に、部員数の多い日大馬術部がアルバイトに派遣された。岩崎氏もその1人で、部員たちの日当などを受け取る役目を担って北野宅に出入りしたのが縁となり、大学を卒業した昭和46(1971)年にメジロ牧場に就職したのだった。

「最初は肩書もなく、ただ毎日午前中は馬に乗って午後は牧柵を打っていました。そのうち経理をやってくれないかと言われました。安保闘争で2年間まるっきり授業がなくて勉強を全くしていなかったですし、えっ? 僕がですか? と驚きました」

 岩崎氏はそこから経理に取り組むことになり、総務的なマネジメントまで仕事の幅は広がっていった。

「馬から降りて、経理や総務全般が専業になり、牧場従業員も段々増えていきました」

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当時のメジロ牧場の様子※右から2番目が岩崎伸道氏(株式会社レイクヴィラファーム提供)


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当時のメジロ牧場の様子 ※左が岩崎伸道氏(株式会社レイクヴィラファーム提供)


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メジロラモーヌ引退記念(株式会社レイクヴィラファーム提供)


 当時は小さな牧場だったメジロ牧場は、限られた資源の中で創意工夫によって運営していた。

「さすがに厩舎の建築は大工さんに依頼しましたけど、土方仕事は全部自分たちでやりました」

 牧柵や馬場は自分たちで作り、天皇賞制覇に強いこだわりをもっていた豊吉氏のもとスタッフが一丸となっていた。

 1982年には、メジロティターンが念願だった天皇賞・秋に勝利。

 その後もメジロラモーヌ、メジロパーマー、メジロライアンなど名馬たちを生み出していった。

私にとっての大恩人・メジロドーベル


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メジロドーベル(株式会社レイクヴィラファーム提供)


 天皇賞という目標を達成した後も、豊吉氏やスタッフの馬への情熱が実り、競馬場ではメジロと冠がつく馬たちがあまた活躍し、特に中長距離のビッグレースの舞台を盛り上げていた。その中で印象に残る1頭がメジロドーベルだ。

 ドーベルは、やはりメジロ牧場の生産馬で1991年の宝塚記念優勝馬のメジロライアンの産駒だ。

「私にとって大恩人です」

 ドーベルについて尋ねると、岩崎氏は開口一番こう言った。

「洋吉さん(大久保洋吉元調教師)も良い馬ができたと喜んでくれました。生まれた時から他の馬とは違っていて、同世代の中では抜けて光っていました。牧場で乗っていても、背中が他の馬とは全然違いますねと乗り役も話をしていました」

 乗り役だけではなく普段世話などで携わっている従業員たちの評価も高かった。

「期待した通りにはいかないのが馬なのですが、ドーベルは期待通りに走ってくれました」

 ちなみにドーベルと同じ1994年生まれで同じメジロライアン産駒のメジロブライトは、牧場では全く目立たず、トレセンに入厩してからの評価も決して高くはなかったが、実戦でガラッと変わって春の天皇賞優勝など成績を残している。

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大久保洋吉調教師(株式会社レイクヴィラファーム提供)


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馬を見る大久保洋吉調教師(株式会社レイクヴィラファーム提供)


 順調に育成が進んだドーベルは、美浦トレーニングセンターの大久保洋吉厩舎に入厩する。

「先生もこれは良くなるとすごく楽しみにされていました」

 管理する調教師の言葉を受けて、牧場側の期待はいやがおうでも膨らんでいった。

 1996年7月13日、新潟競馬場の新馬戦でデビューしたメジロドーベルは、見事初陣を飾り、3歳(馬齢旧表記・現2歳)暮れには阪神3歳牝馬S(現阪神ジュベナイルフィリーズ)に優勝して3歳牝馬チャンピオンの座についた。

「とんでもない牝馬ができた」と牧場側もメジロラモーヌについで牝馬三冠もいけるのではないかという押せ押せのムードの中で、春のクラシック戦線を迎えた。

 ところが桜花賞は残念ながら2着に敗れる。

「あの時は、馬場(不良)で負けたと思っています」

 この言葉から、ドーベルの強さを知っているからゆえの口惜しさが感じられた。

 だがドーベルはオークス、秋には秋華賞に力強い走りで優勝。見事牝馬二冠に輝いて、牧場や厩舎の期待に応えた。

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オークス優勝時のメジロドーベル(株式会社レイクヴィラファーム提供)


「エリザベス女王杯では、1つ上のエアグルーヴとの世紀の対決(ドーベル:1着、エアグルーヴ:3着)もありましたし、いろいろな意味でハラハラワクワクさせてもらいましたし、本当に素晴らしい馬に出会えたなと思っています」

 メジロドーベルは、前出の阪神3歳牝馬S、オークス、秋華賞、エリザベス女王杯2連覇など通算21戦10勝の成績を残して引退。生まれ故郷のメジロ牧場で繁殖入りした。牧場にとっては母としての期待も大きく、ドーベルを超えるような馬をとの夢も膨らんでいたことだろう。岩崎氏をはじめ、牧場スタッフたちにとって、自分たちが作り上げた馬たちの勝利は誇りであり、我が子のような存在だった。

(後編へつづく)

取材協力:
岩崎伸道
株式会社レイクヴィラファーム

取材・文:佐々木 祥恵
制作:片川 晴喜
デザイン:椎葉 権成
取材・構成・編集:平本 淳也
監修:平林 健一
著作:Creem Pan

【記事監修】引退馬問題専門メディアサイト

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引退した競走馬の多くは、天寿を全うする前に、その生涯を終えているー。業界内で長らく暗黙の了解とされてきた“引退馬問題”。この問題に「答え」はあるのか?Loveuma.は、人と馬の“今”を知り、引退馬問題を考えるメディアサイトです。

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