▲フランスから帰ってきた西村騎手に変化が? (撮影:桂伸也)
デビュー前からとにかく上手くなりたいという気持ちで、ものすごい頭数の調教に乗っていた西村淳也騎手。
佑介騎手は西村騎手の印象を、「よく馬に声を掛け、パドックで跨ったときからずっと喋ってる」と話します。「馬と喋れるんちゃうか」と思っていたという西村騎手が馬上でどんな言葉を掛けているのか、フランスに行って変わった馬への当たり方などについて語ってくれました。
(取材・構成=不破由妃子)
淳也はずーっと馬場にいた
佑介 淳也の印象といえば、あれはデビュー前だったのかな、函館でものすごい頭数の調教に乗っていたこと。「あの子、ずーっと馬に乗ってるな」と思って見てたよ。
西村 見習いのときとデビューした年は、すっごい頭数の調教に乗ってましたね。追い日であれば、23〜25頭は乗ってました。
佑介 めっちゃ乗ってる丹内(祐次騎手)ですら14頭前後。普通、23頭なんて乗れないよ。だから、馬場の入り口で次から次へと乗り替わっていって。そんな感じで、当時の淳也はずーっと馬場にいたよな。
──それはご自分の意思で?
西村 頼まれたから乗っていたというのもありますけど、とにかく上手くなりたいという気持ちが強かったです。そのためには、できるだけ多くの馬に乗ろうと。いい勉強になりましたし、楽しかったです。
佑介 デビューした時点で「あばれる君キャラ」が定着していたのは、そういうのもあるよな。なにしろ、デビュー前からものすごい数の厩舎と仕事をしていたわけだから。俺は、北海道で初めて調教に乗っている淳也の姿を見て、「あのアンちゃん、めっちゃしっかり乗るやん」と誰かに言った覚えがあって。
──デビュー前から、注目していたんですね。
佑介 見ていたらわかるんですよ、ただ乗っているだけなのか、ちゃんと馬を調教できているのか。淳也は当時から、めちゃくちゃちゃんと乗れていたんです。角馬場で長鐙で乗っている姿がすごく印象に残ってます。
西村 今もそうですが