▲「馬の心の在り方は、人間にとても近い」(撮影:稲葉訓也)
1頭1頭異なる馬の個性や気持ちを理解して走るほうに向けさせ、レースで能力を発揮させるのが騎手の仕事。
しかし中には狡賢い馬や、“頑張らなくてもいい”と学んでしまう馬、過去に経験した嫌な出来事を覚えていてレースに支障をきたす馬などもいるそう。
川田騎手とともに2019年のクラシック戦線を戦い、あるレースをきっかけに不調に陥ってしまったヴェロックスを例に、川田騎手の目線で「馬の気持ち」についての見解をお話ししていただきました。
(取材・構成=不破由妃子)
人間と同じで、馬も楽な道、楽な方法を探す
馬という生き物の心の在り方は、人間にとても近いと僕は思っています。
人間の性格がひとりひとりまったく違うように、馬の性格も1頭1頭違い、先天的に性格がいい馬もいれば、悪い馬もいる。それら本質的な性格は、乗ればすぐに感じることができます。
加えて、そこまでにかかわってきた人間との関係性によって、後天的な性格が形成されていくわけですが、繊細かつ複雑という性質は、大多数の馬に共通する部分です。
ちなみに、僕が思う性格が悪い馬とは、人の言うことを聞く気がまったくなくて、対話ができない馬。当然、厩舎関係者も僕らも手を焼くわけですが、本質的な性格である以上、それを受け入れて、なんとか競馬に気持ちを向けさせる努力をするしかありません。
よく「あの馬は賢い」といった表現を見かけると思いますが、素直でおとなしい=賢いというわけではありません。すごく素直なんだけど、理解力に乏しい馬もいますし、その逆も然りで、性格は悪いけど賢い馬もいる。人間でも狡賢い人っていますよね。そのあたりも本当に人間と一緒です。
▲「素直でおとなしい=賢いというわけではありません」(撮影:稲葉訓也)
馬の狡さにはさまざまなパターンがあって、わざとゲートに入らない馬もいますし、こちらの「走るんだよ」という指示に対して反応しないのもそのひとつ。なかには狡さを見せずに頑張れないフリをする馬もいるのでやっかいです。
ファンのみなさんからすれば、馬券にも大きく関わってくる要素だと思いますが、これらは見抜くというより、乗って感じるもの。みなさんがレースを見ながら「あの馬は狡い馬だな」と判断できる類のものではないだろうと思います。
こちらの指示に対して狡さゆえに走らない馬とは別に、人間の言うことを聞かなくてもいいということを知ってしまった馬もいます。これは狡さではなく、学んでしまった結果です。
たとえば、ゲートのなかで暴れると、後ろ扉を開けて一旦外に出したりしますよね。危険回避のために必要なことでもありますが、そうすると「暴れれば後ろから逃げられる」と覚えてしまう可能性がある。また、調教、レースに関わらず、暴走するように引っ掛かり続け、「もう抑え切れない」と乗り手が抑えるのをやめれば、「ああ、行き続ければ自由に走れるんだ」ということを学んでしまうのです。
知恵のある人間が、楽な道、楽な方法を選びがちなのと同じで、知恵のある馬も楽な道、楽な方法を探す。なにしろ、いいことよりも悪いことを学ぶほうが圧倒的に簡単ですから。このあたりも、人間と一緒だと思っています。
また、これも人間と同じで、馬は嫌な思いをしたことをずっと覚えている生き物です。ゲートのなかで怖い思いをした、レース中にぶつけられて嫌な思いをした、レース中にケガをして痛い思いをしたなどはわかりやすい例ですが、負け方によって心が折れてしまうこともあります