
▲それぞれのデビュー時の師匠を振り返る(撮影:福井麻衣子)
世代間ギャップトーク④「今は厳しすぎる指導はNG! それぞれの師匠の教育方針はどうだった?」
──熊沢さんは、1986年のデビューから1996年まで内藤繁春厩舎に所属。師匠は怖かったですか?
熊沢 それはもう…。「俺が絶対!」という人でしたから。でも、言うことを聞いてさえいれば、馬には乗せてくれた。だから付いていけたと思うんですけどね。さすがに殴る蹴るはなかったけど、なんでも強制的にやらされて、しんどいことはいっぱいありました。朝から晩まで、「これって騎手の仕事じゃないよね?」っていうことまでやらされたから。
大河 たとえばどんなことですか?
熊沢 厩の掃除とか飼い葉付けもそうだし、まず厩務員さんが出勤してくる前に厩舎に行って、馬を全部見て回ったりしてた。
佑介 僕、内藤厩舎の方とはけっこうつながりがあって。熊沢さん、厩務員の堀部さんとは内藤厩舎で一緒に仕事されてましたよね?
熊沢 うん、してたね。
佑介 僕が作田厩舎の所属になった当時、堀部さんは作田厩舎のエース厩務員だったんです。堀部さんが「熊ちゃんがいい」ということで、担当馬の鞍上はずっと熊沢さんでしたし。今は平田厩舎に移りましたけど、それこそ平田先生も内藤厩舎出身で。堀部さん、平田厩舎に移ってからは、よく僕を乗せてくれたりするんです。そういうのを見ていると、内藤厩舎出身の方は、一緒に仕事をしていた者同士の結束力が強いというイメージがあります。
熊沢 そうかもね。親分が厳しすぎたから、せめて働いている者同士は仲良くしようという感じだった。なにしろうちの親分は個人攻撃がすごかったから(笑)。「そんなに!?」っていうくらい追い込んでた。まぁそれが調教師のやり方だったんだと思うけど。
──スタッフさん同士を結束させるのが狙いだったりして。
熊沢 それもあったと思う。とにかく、どんなに厳しくしても潰れない人間が大きく育っていくという考えで、「褒めて育てるなんて持ってのほか」という先生でした。潰れなくてよかったなって(笑)。

▲「褒めて育てるなんて持ってのほか(笑)」(撮影:福井麻衣子)
──大河さんはご存じないと思うんですけど、内藤調教師はすごい逸話の持ち主で。定年間際の69歳のときに騎手免許試験を受けたんですよ。
大河 え〜!?
熊沢 確か石神(深一)の期と一緒に受けたんだったかな。試験のときは