既報のように、イクイノックスが2023年度のレーティング世界一に輝いた。4馬身差で圧勝したジャパンCで、日本馬歴代最高の135ポンドを獲得。1999年の凱旋門賞で、「勝ちに等しい2着」となったエルコンドルパサーの134ポンドを上回った。
私が競馬を始めたのは、日本中央競馬会がCI戦略でJRAの略称を用いるようになり、武豊騎手がデビューした1987年だった。23歳になった年だ。
が、その3年前、20歳になった1984年に史上初の無敗の三冠馬となったシンボリルドルフの走りを、リアルタイムでは見ていなかった。私より若い人でも、競馬が好きな親や友人の影響でルドルフの走りを見ていたという人は少なくない。
競馬関連の原稿を書くようになってから、仕事で会った人と昔話になったとき、「実はぼく、ルドルフの走りをリアルタイムでは見ていないんですよ」と言うと、相手は「え?」と驚いたような顔になり、気まずい沈黙が訪れた。相手に悪気があってもなくても、嫌な沈黙だった。
長らく「ルドルフコンプレックス」として私のなかで燻っていたモヤモヤを、2005年に史上2頭目の無敗の三冠馬となったディープインパクトが吹き飛ばしてくれた。
ディープが圧倒的な強さで制したレースの目撃者となり、「この馬が絶対に世界で一番強い」と感動しながら確信した。それによって、かつて「最強」と言われた馬たちを知らなくても、ディープを知っていれば恥ずかしくない、と思えるようになったのだ。
そんなディープの走りをリアルタイムで見ていなかった人にとっては、イクイノックスが、私にとってのディープのように、かつての最強馬を知らないことに対する引け目を取り払う存在になったのではないか。そのくらいのスケールであることは、レーティングが証明している。
ルドルフの三冠制覇からディープのそれまで21年。そこからイクイノックスが世界一となるまで18年。同じくらいのスパンで、競馬史に残るスーパーホースが現れている。
もう20年ほど待たないと、次のスーパーホースは現れないのか。それとも、ルドルフとディープにつづく存在はイクイノックスではなく、もっととんでもない化け物が近々現れるのか。
イチロー氏がMLBで首位打者になったとき、こんな日本人プレーヤーはあと半世紀は現れないだろうと思っていたら、大谷翔平選手が現れた。
100年に一度の確率でしか起きないことが、2年つづけて起きることもあるのが歴史というものだ。白毛馬がGIを勝つなど、20〜30年前なら夢物語にもならなかったが、ソダシがそれを現実とした。ソダシや大谷選手のように、私たちの想像力の範囲の外から出現するスターの登場に、また驚かされたいものだ。
昔はよかった。というのが、オッサン世代の常套句である。それは私が若かったころから変わっていない。若い人が、オッサンの自慢話をメインとする昔話を聞かされることほど退屈な時間はないというのも変わっていないはずだ。
何が言いたいかというと、「お前らも見たイクイノックスより、おれが見たディープインパクトのほうが強かった」と、長く競馬を見ていることでマウントを取ろうとする中高年が確実にいる、ということである。
昔のほうがよかった、と認められないと、その時代を生きてきた自分の価値を高く見せることができないからだ。
かく言う私も、イクイノックスとディープの走りを重ね、例えば、一昨年の天皇賞(秋)を見たときは、「ディープならもっと楽に差していただろうな」と、口には出さなかったが、思っていた。ところが、昨年の天皇賞(秋)とジャパンCを見た直後は、「おいおい、ディープでも今日のイクイノックスは差せなかったんじゃないか」と青くなった。
レコードが更新されているのは、サラブレッドの種としての進化より、馬場の進化によるところが大きい。何しろ、ディープは今も直仔が走っているのだから、進化を云々するのは早すぎる。が、それを抜きにしても、イクイノックスの走りは、中間を外厩のノーザンファーム天栄で過ごしたことの効果もあるのだろうが、ひとつのレースで爆発させるエネルギーの総量の、施設や調教技術などの進化を背景とした凄まじさを感じさせる。昨年は8割ほど発揮するだけで勝ってしまった感もあるが、もしそれをフルに使い切れば、どんな走りをしたのかと恐ろしくなる。
実は、ディープにも同じことが言えて、ほとんど目一杯の競馬をすることのないままあれだけの成績を残した。
長くなるのでこのくらいにしておくが、最後にひとつだけ。ワールドベストホースランキングの日本馬歴代10傑を見ると、ディープは7位タイで、ラストランとなった2006年の有馬記念が127ポンドになっている。そんなものではないですよ、と、言っておきたい。