先週末、3月3日の日曜日、東西の競馬場で、この日が最後の管理馬出走となる調教師の引退セレモニーが行われた。セレモニーといっても、それぞれのラストレースのあとに花束贈呈と写真撮影、取材対応が短時間行われる、というものだった。今年は、出馬投票の関係で、調教師のラストウィークと新人騎手のデビューウィークが重なったこともあって、例年よりいくらか寂しさのやわらいだ一日になったように思う。
私は、中山競馬場の第8レースがラストレースとなった、コビさんこと小桧山悟調教師(3月5日付で引退)の引退セレモニーに参加した。
管理馬のタケルジャックには、コビさんが「宗教武豊」とまで言う武豊騎手が騎乗。結果は、残念ながら、11頭立ての11着だった。それでも単勝7番人気に支持されたのは、「ユタカ人気」と「コビさん人気」が作用してのものだろう。
「豊君に申し訳ないことをした」と言うコビさんに、武騎手が「口取り撮影をしましょう」と提案し、最下位で口取りという、珍しいシーンが実現した。
3月3日、中山第8レース終了後、11着ながら武騎手の提案で行われた口取り撮影
その様子を、私は、少し離れた枠場の横から見ていた。ひとつ前の第7レースが終わった直後からそこに陣取り、すぐそばには、二十代のころから付き合いのある田中勝春調教師、コビさんに所有馬を預けていた三岡陽オーナー夫妻、私に競馬を教えてくれた放送作家のウメさんらがいた。
調教助手時代、小桧山厩舎に所属していた小手川準調教師、青木孝文調教師、堀内岳志調教師らも来て、揃いの水色のブルゾンをくれた。左の胸元にコビさんのシルエットと「SATORU KOBIYAMA STABLE 1995-2024」という文字、右にはゴリラのシルエット、背中には所属して調教師になった前記3人と、所属した騎手たちの名がプリントされている。
「チャンピオンズカップの進上金(ウィルソンテソーロ=2着)でつくりました」と笑う小手川師と、弟子のなかで最初に調教師になった青木師が中心になって主催者サイドと交渉し、ウィナーズサークルで、まずは騎手たちと、次に家族を含む関係者と記念撮影を行うことができるよう手配していた。
ウィナーズサークルで、武騎手、武士沢友治騎手(3月10日付で引退)からコビさんへの花束贈呈が終わると、水色のブルゾンを着たほかの騎手たちが集まってきた。
この日のために作られたブルゾンを騎手たちも着て記念撮影
当初、田中勝春調教師はそこに加わっていなかったのだが、「勝春さんも行きなよ」と周囲に言われると、「え、いいのかな」と頭を掻きながら小走りで列に加わった。すると「あれ、騎手じゃない人がいるよ」と言われ、笑いが起きた。柴田善臣騎手、藤田菜七子騎手らも加わり、計25人の騎手、元騎手との撮影が行われた。
それからほかの関係者との撮影となり、そこには私を含めて6〜70人が加わった。勝春調教師も、もう一度参加した。さらに多くのファンがウィナーズサークルを囲み、コビさんに拍手と声援を贈った。
ウィナーズサークルで関係者との記念撮影を終えたコビさん
ウィナーズサークルから検量室前に戻っても、名残惜しくて、多くの関係者がそこを離れようとしなかった。
自然と、という感じで、記者たちの囲み取材が始まった。誰かが質問するのではなく、コビさんが自発的に話しはじめるという、いかにもコビさんらしい形だった。
小桧山氏と筆者(左)
一番盛り上がったのは、コビさんが、「俺が積み重ねてきた戦績の、これしかないものを、奪いやがった」と、小手川師を指さしたときだった。
「馬房数あたりの出走頭数です」と小手川師。
コビさんがつづけた。
「俺ずっと1位だったんですよ。で、去年2位になって、誰が俺を抜かしたんだろうと思ったら、こいつなんですよ」と、コビさんがもう一度小手川師を指し示すと、背後から青木師の声が聞こえてきた。
「ちなみに3位はぼくです」
これもウケた。
「小桧山イズム」は、弟子たちによって、しっかりと受け継がれている。
囲み取材のあと急きょ始まった、記者や騎手たちの背中へのサイン会
そろそろおひらきというとき、「次はドバイで」と、キャスターの原山実子さんがコビさんに言った。
どういうことかと思ったら、管理するウィルソンテソーロでドバイワールドCに参戦する小手川師が、コビさんを連れて行くと言っているという。が、コビさんは、照れがあるのか、「行く」とは言わない。
「ドバイ行きの件、コラムに書いていいですか」と私が言うと、小手川師は「ぜひお願いします。そうして既成事実にしてください」と微笑んだ。
弟子からの、素敵なプレゼントである。
数時間後、コビさんから電話が来た。
「今日はすごかったね。まるで3000勝以上したジョッキーの引退式みたいだった。俺、そんなに嫌われていないのかなって思った。あのとき(1990年)豊ちゃんとアメリカに行ってなかったら調教師になってなかったかもしれないなあ。今日はありがとう」
たぶん、来た人みなに電話をしていたのだと思う。途中から急に早口になったので、誰かから着信があったのかもしれない。
37年の付き合いになるコビさんの人となりなどについて、発売中の「週刊競馬ブック」に寄稿した。3ページにまとめるのは大変だったが、そのくらいのコンパクトさで伝えることも大切なことだと思う。そちらも読んでもらえると嬉しい。
調教師ではなくなったが、馬に関わる仕事をつづけていくという。私の大好きなコビさんは、これからもホースマンでありつづける。