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米国競馬のフレッシュマンサイアー争いをご紹介! 注目集める種牡馬2頭とは

  • 2024年07月10日(水) 12時00分

マーケット評判上々のヴェコマ


 今年の競馬も折り返し点を通過したが、現段階で大接戦となっているのが、米国におけるフレッシュマンサイアー争いだ。

 獲得賞金45万9153ドルで首位に立つのは、スペンドスリフトファームで供用されているヴェコマ(父キャンディライド)なのだが、45万2725ドルを収得して2位につけているのが、エアドリースタッドで供用されているコンプレクシティ(父マクリーンズミュージック)と、その差6428ドルというミクロの争いをしているのだ(7月7日現在)。

 G1ヒューマナディスタフS(d7F)勝ち馬モナデモマの3番仔にあたり、キーンランド9月1歳市場にて13万5千ドルで購買されたのがヴェコマだ。

 ジョージ・ウィーバー厩舎から、2歳秋にデビュー。いきなり無敗の2連勝でアケダクト競馬場のG3ナシュアS(d8F)を制したのだから、ヴェコマ自身は明らかに仕上がりの早いタイプだった。3歳時は3戦し、4月にキーンランド競馬場のG2ブルーグラスS(d9F)を制覇。4歳時も3戦し、この年はG1カーターH(d7F)、G1メトロポリタンH(d8F)という2つのG1を含めて無敗の3連勝を飾っているから、早熟だっただけでなく、成長力も兼ね備えた馬だった。

 21年に種牡馬入り。初年度の種付け料は1万7500ドルだった。

 23年のイヤリングセールに上場された初年度産駒は、114頭が平均価格9万6825ドルで購買されているから、マーケット評判は上々だった。

 ここまで16頭のヴェコマ産駒がデビューし、このうち10頭が勝って、62.5%という高い勝ち上がり率をマーク。勝ち馬のうちフォーチュナミア(牝2)が、6月30日にチャーチルダウンズ競馬場で行われたデビュータントS(d6F)で3着に入り、目下のところの出世頭となっている。

 一方のコンプレクシティは、G3ダブルドッグデアS(d8.5F)を制したほか、G1・BCジュベナイルフィリーズ(d8.5F)2着などの実績を残したヴァラドーナの半弟にあたり、キーンランド9月1歳市場にて37万5千ドルで購買された馬だった。

 チャド・ブラウン厩舎から2歳9月にデビュー。ヴェコマ同様にこちらも、いきなり無敗の2連勝でベルモントパーク競馬場のG1シャンパンS(d8F)を制したのだから、コンプレクシティもまた仕上がり早であったことは間違いなさそうだ。

 続くG1・BCジュベナイル(d8.5F)は大敗したのち、3歳時は3戦して条件戦に1勝したのみに終わったが、4歳になって復活。2戦目となったG1フォアゴーS(d7F)で2着に好走すると、続くG2ケルソH(d8F)を制し、2度目の重賞制覇を果たした。本馬もまた、早熟なだけの馬ではなかったわけだ。

 21年に種牡馬入り。初年度の種付け料は1万2500ドルだった。

 23年のイヤリングセールに上場された初年度産駒は、84頭が平均価格8万3583ドルで購買されており、こちらもマーケットの評判は上々だったと言えそうだ。

 ここまで14頭のコンプレクシティ産駒がデビューし、このうち9頭が勝って、64.3%という高い勝ち上がり率をマーク。このうちフレンチホルン(牝2)が、6月6日にサラトガ競馬場で行われた特別アストリアS(d5.5F)で3着に入り、出世頭となっている。

 今年の2歳が初年度産駒となる若手種牡馬で、期待が最も大きいのは、スペンドスリフトファームで供用されているオーセンティック(父イントゥミスチーフ)だ。

 現役時代、G1ケンタッキーダービー(d10F)、G1・BCクラシック(d10F)を制し、全米年度代表馬の座に輝いた同馬。初年度の種付け料7万5千ドルは、同期の新種牡馬の中では断然の高額だった。

 ここまでデビューした産駒は14頭と、そこそこの数の2歳が競馬場に登場した中、勝ち上がったのは2頭のみで、目下のところはフレッシュマンサイアーランキングの8位に甘んじている。

 オーセンティック自身のデビューは2歳の11月で、デビュー勝ちを果たしたものの、2歳時はその1戦のみで終えている。

 3歳になると、G3シャムS(d8F)、G2サンフェリペS(d8.5F)と連勝しており、決して出足が悪かった馬ではなかった。

 サラトガ競馬場、デルマー競馬場をはじめとした夏開催で、頭角を現す2歳馬が出てきてほしいところだろう。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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