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【丹内祐次×津村明秀×藤岡佑介】津村騎手が“天才”と称されるワケ「一生かかっても真似できない」天性の素質とは?/第4回

  • 2024年08月07日(水) 18時02分
“with佑”

▲佑介騎手・津村明秀騎手・丹内祐次騎手の同期対談第4回!(c)netkeiba


津村明秀騎手、丹内祐次騎手をゲストに迎えての対談は第4回。「いなかったら今の20期はこうなってないよ」との佑介騎手の発言から、話題の中心は津村騎手に。

高い評判を集める騎乗フォームはどこが凄いのか? お二人の分かりやすい解説に加えて、「本当に独特」と称される姿勢を、ご自身にも分析いただきました。 今回も学校生時代の思い出を随所に混ぜながら、騎乗の“上手さ”について語ります!

前回はこちら▼
【丹内祐次×津村明秀×藤岡佑介】「GI、勝つしかないでしょう!」JRA騎手の中で“1番忙しい男”の決意表明!/第3回

(取材・構成=不破由妃子)

存在感を増す津村騎手に佑介騎手が感じる変化


佑介 丹内に「あとはお前だけだぞ」って言ったこともそうだけど、なんだかんだいって(川田)将雅が一番同期を応援してるよな。津村がGIを勝ったことも、あいつが一番喜んでるような気がするし。学校時代の3年間は、「世の中のすべてが敵」みたいな顔してたのに(笑)。

津村 コラム(『VOICE』)でも丸々1回分使って俺のことを話してくれてね。うれしい気持ちと恥ずかしい気持ちもありながら読んだけど、ありがたいなと思った。ただ、川田が思っているほど、同期のなかで俺が抜けているとはまったく思ってなかったんだけどなぁ。

該当コラムはこちら▼
「僕の目から見ると、彼は上手すぎた」──ヴィクトリアマイルで悲願を叶えた天才・津村明秀を語る【月刊 川田将雅】

佑介 いやいや、抜けてたって。津村という抜けた存在がいなかったら、今の20期はこうなってないよ。本当にそう。それは絶対。

津村 それを言うなら、藤岡がいなかったら、うちの期はこんなにまとまってない。

佑介 それは僕もそう思います(笑)。

丹内 2年前に『with佑』に出たときも謝ったけど…。藤岡にはマジで何度でも謝りたい。学校時代、ふざけすぎて申し訳ありませんでした!

佑介 だから、津村と丹内に関しては、全然大変だと思ったことないって。むしろ、チームお花畑は癒し空間だった。だって、放っておけばふたりで勝手に楽しんでるんだから(笑)。

津村 そうでした(笑)。俺、自分が抜けているなんて本当に自覚してなかったよ。確かに技術テストで1位だったことはけっこうあったけど、かといって「俺が1位だ! どうだ!」みたいに思ったことは一度もないし。

佑介 うん、津村にそういう雰囲気はまったくなかった。津村は学校生の頃からコツコツ努力ができる人で、本当に上手いなと思っていたけど、貪欲さや欲深さみたいなものを感じたことは一度もなかったな。

──それは川田さんもコラムでおっしゃってましたね。

津村 そうでしたね。自分のためだけに貪欲にはなれない性格なんだと思います。

佑介 みんなが思っていたほど勝てなかった時期が長かったのも、そういう性格に起因していたというのもすごくよくわかる。ただ、去年くらいからかな、

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JRAジョッキーの藤岡佑介がホスト役となり、騎手仲間や調教師、厩舎スタッフなど、ホースマンの本音に斬り込む対談企画。関係者からの人望も厚い藤岡佑介が、毎月ゲストの素顔や新たな一面をグイグイ引き出し、“ここでしか読めない”深い競馬トークを繰り広げます。

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1986年3月17日、滋賀県生まれ。父・健一はJRAの調教師、弟・康太もJRAジョッキーという競馬一家。2004年にデビュー。同期は川田将雅、吉田隼人、津村明秀ら。同年に35勝を挙げJRA賞最多勝利新人騎手を獲得。2005年、アズマサンダースで京都牝馬Sを勝利し重賞初制覇。2013年の長期フランス遠征で、海外初勝利をマーク。2018年には、ケイアイノーテックでNHKマイルCに勝利。GI初制覇を飾った。

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