有馬記念Vのレガレイラから学ぶ スワーヴリチャード産駒の成功パターンとは
血統で振り返る有馬記念
【Pick Up】レガレイラ:1着
スワーヴリチャード産駒は重賞7勝目。GIを勝ったレガレイラとアーバンシック(菊花賞)は、母同士が全姉妹というきわめて近い血統構成です。2024年のJRA種牡馬ランキングでは、開催1日を残して第12位。初年度産駒が3歳の種牡馬としては優秀です。
スワーヴリチャードの初年度の種付け料は200万円で、これが4年間続きました。初年度産駒が大ブレイクし、5年目から1500万円に値上げ。繁殖牝馬の質が劇的に上昇するのは来春誕生する5世代目の産駒からです。4世代目の現当歳までは種付け料200万円で、繁殖牝馬の質は決して高いとはいえず、頭数も少な目です。したがって、しばらくは雌伏の期間が続く可能性が高いと思われますが、トップクラスの種牡馬と遜色ないポテンシャルを秘めているので、レガレイラやアーバンシック級の大物を再び出してくるでしょう。
スワーヴリチャードは母方にダンジグを持つ配合パターンが成功しており、レガレイラとアーバンシックの他に、スウィープフィート、コラソンビートと計4頭の重賞勝ち馬が出ています。
3代母ウインドインハーヘアの一族からは、ディープインパクト、その全兄ブラックタイド(キタサンブラックの父)、レイデオロ、ゴルトブリッツなど多くの大物が出ています。2代母ランズエッジは3歳世代が大当たりで、レガレイラとアーバンシックの他に、桜花賞馬ステレンボッシュが出現しました。この3頭はイトコ同士です。
レガレイラは中山でGIを2勝しましたが、本質的には直線の長いコースのほうが向いているのではないかと感じます。来年、それを証明してくれるでしょう。
血統で振り返る阪神C
【Pick Up】ナムラクレア:1着
これまでGIでは2、3着が5回と勝ち切れないのですが、重賞は計5勝目。芝1000〜1400mのJRA重賞を5勝以上した馬はこれまで10頭おり、ナムラクレアが11頭目となります。
これまでの10頭を父別に見ると、サクラバクシンオー(シーイズトウショウ、ベルカント)とロードカナロア(ダノンスマッシュ、ダイアトニック)が複数出しており、今回、ミッキーアイルが新たに加わりました。
同馬を父に持つメイケイエールとナムラクレアはいずれも牝馬。ミッキーアイル産駒は性別によってタイプに違いがあり、牡はダート向き、牝は芝向きです。ミッキーアイル牝馬は芝で63勝していますが、そのうちの62勝を1600m以下で挙げています。芝短距離はミッキーアイル牝馬が最も得意とする条件です。
3代母クドジェニーは仏2歳牝馬チャンピオンで、名種牡馬マキャベリアンの全妹にあたる超良血。ナムラクレアの生産者である浦河の谷川牧場は、クドジェニー牝系にこだわりがあるのか、他にドリームオブジェニー(ファンディーナ、ナムラシングン、コンクイスタ、クードメイトルの母)を輸入しています。
本邦輸入種牡馬バゴ(クロノジェネシス、ステラヴェローチェ、トータルクラリティなどの父)もクドジェニーのファミリーから誕生しています。素晴らしい活力を伝える名牝系です。
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【クワイエットアメリカン】
ドクターフェイガー、ファピアノ、アンブライドルドと同じく米フロリダ州のタータンファームで誕生しました。現役時代にNYRAマイルH(米G1・ダ8ハロン)を1分32秒4/5という好時計で圧勝。種牡馬としても米二冠馬リアルクワイエットなどを出して成功しました。
ドクターフェイガー3×2と、セキーロ4×3という牝馬クロスを併せ持つので、キラロー≒デミュア2×1と表現することもできます。この異様な凝縮の影響か、母方に入ったときに素晴らしい効果を発揮し、バーナーディニやセイントリアムの母の父、ガンランナーの2代母の父など、現代の重要血脈の要所に含まれています。
パレスマリス産駒でわが国の重賞を勝ったジャンタルマンタル、ノーブルロジャーは、いずれもクワイエットアメリカンを抱えています。今年のBCクラシックの1、2着馬、シエラレオーネとフィアースネスにもクワイエットアメリカンは含まれています。
血統に関する疑問にズバリ回答!
「三大始祖以外でビッグレースを勝った馬はいますか?」
イギリスのクラシックレースでは、オルコックアラビアンの直系子孫エイムウェル(Aimwell)が1785年に第6回英ダービーを勝ちました。三代始祖以外のサイアーラインから誕生した馬が英クラシックを勝ったのはこの一例のみです。
現在まで続く最古の重賞ドンカスターCでは、ブラディショルダードアラビアンの直系子孫リバティ(Liberty)が1770年に勝っています。
王室主宰のロイヤルプレートでは、セントヴィクターズバルブの直系子孫ストックトン(Stockton)が1803年にドンカスターのキングズプレートを勝っています(単走)。開催年としてはこれが最も遅い例ではないかと思います。
三大始祖以外のサイアーラインは、イギリスだけでなくアメリカでも19世紀前半までごくわずかに残っていましたが、その後、完全に途絶えました。