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2024年シーズンの米国競馬が閉幕 G1含む56重賞を制したジョッキーも

  • 2025年01月08日(水) 12時00分

リーディングに輝いたホースマンらを紹介


 12月31日にペンシルベニア州のパークス競馬場や、アリゾナ州のターフパラダイス競馬場で行われた開催を最後に閉幕した、2024年の米国における競馬を、2週にわたって総括したい。

 収得賞金額で争われるリーディング・トレーナーは、3086万6710ドルを稼いだチャド・ブラウン調教師が、2933万8851ドルのスティーブン・アスムッセン調教師に152万ドルあまりの差をつけて首位に立った。24年のブラウン厩舎は、シエラレオーネがG1・BCクラシック2つのG1含む重賞3勝。カールスパックラーがG1・フォースターデイヴHなど2つのG1を含む重賞3勝。2歳世代のチャンサーマクパトリックがG1・シャンパンSなど2つのG1を制覇したのをはじめ、通算で15のG1を含む47の重賞で勝利を収めた。ブラウン師のこの部門における首位は、2016年、2017年、2018年、2019年、2022年に次いで、6度目のこととなった。

 勝利度数で争われるリーディング・トレーナーは、407勝をあげたスティーブン・アスムッセン調教師が首位に立った。同師のこの部門における首位は、2002年、2004年、2005年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2013年、2020年、2021年、2022年、2023年に続き、14回目のことだった。

 賞金収得額で争われるリーディング・ジョッキーは、3727万4176ドルを収得したフラヴィアン・プラ騎手が、3296万3380ドルのアイラッド・オルティスJr.騎手に、430万ドルという大きな差をつけて首位に立った。

 24年のプラ騎手は、ナショナルトレジャーとのコンビでG1・ペガサスワールドCやG1・メトロポリタンHを、チャンサーマクパトリックとのコンビでG1・シャンパンSやG1・ホープフルSを、シエラレオーネとのコンビでG1・BCクラシックを制するなど、16のG1を含む56の重賞を制覇。

 56重賞というのは、2003年にジェリー・ベイリーがマークした55重賞を破る、年間重賞競走勝利の新記録だった。2009年デビューのプラは、2019年にこの部門における初のトップ10入りとなる5位にランクイン。2022年が2位、2023年が3位だった後、2024年に初めてリーディングの座に就くことになった。

 勝利度数で争われるリーディング・ジョッキーは、327勝をあげたアイラッド・オルティスJr.騎手だった。同騎手は、2017年に初めてこの部門のリーディングになって以降、8年連続での首位となっている。

 リーディング・オーナーは、シェイク・モハメドの競馬組織ゴドルフィンが、4年連続で首位に立った。収得賞金の2023万4455ドルは、2021年にゴドルフィン自身がマークした1737万8674ドルを大幅に更新する、米国における馬主の年間収得賞金の新記録だった。24年のゴドルフィンは、レベルスロマンスで制したG1・BCターフなど、10のG1を含む32の重賞を制覇。この部門の2位だったクララヴィッチ・ステーブルスの収得賞金が837万5757ドルだから、ゴドルフィンの数字はこれの2.4倍にあたる、まったくの独走態勢だった。

 ゴドルフィンは今年の3歳世代にも、G1・BCジュベナイルフィリーズ(d8.5F)を含めて4戦4勝のイマーシブ(牝3、父ナイキスト)、G2・ゴールデンロッドS(d8.5F)を含めて4戦4勝のグッドチア(牝3、父メダグリアドーロ)、G2・レムゼンS(d9F)を含めて3戦3勝のポスター(牡3、マニングス)、G1・ブリーダーズフューチュリティ(d8.5F)勝ち馬イーストアベニュー(牡3、父メダグリアドーロ)、G2・ケンタッキージョッキークラブS(d8.5F)勝ち馬ファーストリゾート(牡3、父アンクルモー)、G3・ストリートセンスS(d8.5F)勝ち馬ソヴリンティ(牡3、父イントゥミスチーフ)など、実に豊富な手駒を揃えており、2025年も米国におけるゴドルフィン優勢の図式に、揺るぎはなさそうである。

 ゴドルフィンは、生産者としても2320万5149ドルを収得。リーディング・ブリーダーの座にも就いている。

 北米における2024年シーズンの総括、次週は種牡馬部門をお届けする予定だ。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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