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【#82】「夫の社会復帰は、もう諦める」──家族の幸せのため鬼嫁が考えた“進むべき道”

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  • 2025年01月07日(火) 18時01分
障害ジョッキーの白浜雄造騎手の奥様が、3年前の夏の落馬から復帰を目指して奮闘する夫と家族のリアルな姿を描く連載コラム。

仕事や育児、雄造騎手のサポートと多忙な毎日が続く鬼嫁。プレッシャーの大きい日々の中で、「夫の社会復帰は、もう諦める」決断を下します。それは騎手はもちろん、調教助手や厩務員といった中央競馬に関わる仕事を全て諦めることを意味しました。

迷い悩む鬼嫁に立ちはだかるのはコミュニケーションが難しい夫婦関係やトレセンの環境、脳の障害に関する厳しい現実。夫はもちろん家族全員が幸せに生きるために、これから“進むべき道”とは──。


「もうすべてを捨てて、地元の長崎に帰ってひとりで生きていきたい」


 2024年4月、福永祐一厩舎が開業して1カ月。

 私は慣れない厩舎での業務、そしてワンオペでの家事育児に追われ、慌ただしい毎日を過ごしていました。祐一さんと奥様の翠ちゃんからは、「無理はしないで。でも、ここで働くことが少しでも気晴らしになるのであれば、それはそれでいいからね」と、最大限の気遣いをいただいていました。

 いっぽう、夫はというと、日々忙しそうにしている私を見て家事を手伝う気になったようで…。気が向いたときに、洗い物や洗濯物を取り込むなどの家事をしてくれるようになりました。とはいえ、今まで家事育児をしたことがなく、脳への後遺症で正常な判断が難しい夫の家事は、私の手間を増やすだけになってしまうことが多々あり、私のストレスが増す結果に。

 たとえば、私が朝、仕事に行く前に干した洗濯物を乾く前に取り込んでしまい、仕事から帰宅後にもう一度干し直さなければならない事態とか…。翌朝は次の洗濯物を干さなければなりませんから、時間がないなか、取りこまなければいけない。そのことを指摘したり、張り紙をして注意を促すと、子供の前であっても怒り暴れてしまうため、何も言わずに処理をするしかありませんでした。

 さらに、保育園時代とは異なり、小学校や学童では保護者サポートが十分ではなく、学校行事も平日の昼間に開催されるため、とにかくてんやわんやの日々。そのほか、夫のことには口を出さないと決めていたものの、東京への通院に立ち会ったり、医師や療法士の先生方と情報共有を行ったり。こうして私は多くのタスクを抱え、大阪の両親のサポートを頼りに、なんとか毎日を乗り越えているような状態でした。

 そんな日々のなかで、私は総合的にある判断を下しました。それは、ここまでずっと一番近くで夫を見続けてきた結果、「夫の騎手復帰、調教助手や厩務員としての復帰は不可能。社会復帰も難しい」ということ。

 夫の社会復帰は、もう諦める──そう心を決めたことで、自分自身へのプレッシャーが軽減され、気持ちは幾分楽になりました。

「夫に期待できないなら、私が仕事を頑張り、子どもと3人で生きていけばいい。他人のことはコントロールできないけれど、自分のことはコントロールができるし、どうなっても自分が招いた結果なのだから納得できるはず」

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1981年9月9日生まれ。2015年に障害騎手の白浜雄造と結婚。1男1女をもうける。結婚前は四位洋文調教師や福永祐一調教師(両名、当時騎手)らが所属していたマネージメント会社にてマネージャーを務め、TV番組収録やイベント等、様々な現場で騎手をサポート。福永調教師の引退までの16年間はバレット業務も兼任。福永厩舎開業後は経理兼秘書業務を担当予定。現在はオンラインサロン「福永祐一 競走馬研究所」の運営スタッフを務める傍らフリーランスとして活動中。新たな目標のアイシングクッキー講師としても活動すべく準備中。(旧姓は坪田、また戸籍上の表記は幸子)

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