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理不尽なこと

  • 2025年01月16日(木) 12時00分
 数日前、家人が買い物に行く途中に歩道で転倒し、骨折。そのまま入院し、手術を受けることになった。私がこの稿を書いている最中に手術が終わるはずだ。

 スーパーの近くで転んで動けなくなったと家人から電話があったのは、土曜日の午後1時ごろのことだった。立ち上がろうとしても力が入らないのだという。普段は痛いの苦しいのと言わない彼女が動けないのは相当なものだと思い、救急車を呼ぶよう言った。私もすぐ、自宅兼仕事場から徒歩3分ほどのそこに向かった。

 黒いコートを着た家人が足を投げ出すようにし、道端に横座りして手をついていた。突き当たりは駅前商店街のアーケードで、車が通り抜けできない。だから歩道と車道の段差に座っていても車に轢かれる心配はないのだが、道行く人はみな、何事もなかったかのように素通りして行く。

 家人は私を見るなり「ごめんなさい」と目を伏せた。何か柔らかいものを踏んでバランスを崩し、尻餅をつくように転んだのだという。鉄製のグレーチング(という表現でいいのだろうか)の中央の直径60センチ、深さ10センチほどの穴のすぐ脇に座っていた。その穴は本来なら街路樹が植わっているはずのところなのだが、今はパイロンが置かれ、その周りをゴムのプレートが囲んでいる。ゴムとグレーチングの間には隙間があり、そこに足をとられたのか。

 救急車が来るまで20分ほどかかった。隣町から来たのだという。幸い、近くの総合病院で受け入れてくれた。

 右大腿骨頸部骨折という診断だった。太ももの骨の付け根が折れて、先の部分と離れてしまっている。離れ方が大きいので骨同士をつなげることはできず、人工骨頭を挿入する手術が必要だという。骨折前の強度や運動能力は戻らず、ずっと痛みがつづく人も、杖が必要になる人もいるという。なかには骨折前と変わらないくらい動ける人もいるというが、定期的な通院が必要で、10年ほどで人工骨頭を交換しなければならないらしい。

 怪我をしたのが3連休の初日だったので十分な人員が揃わず、手術がこのタイミングになった。それまで、寝返りも打てない状態で痛みに耐えるしかなかった。

 家人は元来丈夫で、入院するのはこれが人生初である。手術は午後ということしかわかっておらず、終わったら、医師が私に連絡をくれることになっているのだが、どうにも落ち着かない。

 それにしても、なぜ、ただ真面目に生きているだけの家人がこんな目に遭わなければならないのか。いくら謝るなと言っても、この件で私の仕事の予定が変わってしまったことを謝ってばかりいる。歩くのが好きで、毎日私の何倍も歩いていた。普通の人の一生分はとっくに歩き切っただろうから、神様がゆっくりしなさいと言ってくれたと思うしかないのか。

 理不尽である。

 理不尽と言えば、今月13日の月曜日、中京第1レース(ダート1800メートル)の最後の直線で急に内に切れ込み埒を跳び越えようとしたレイバックスピンに騎乗したオレリアン・ルメートル騎手に戒告とはいえ制裁が科されたことも、気の毒に思う。

 リプレイを見ると、直線に向いて右手前に替えたのだが、それから2、3完歩で先頭に立って抜け出したのとほぼ同時にまた左手前に戻し、内埒を跳び越えようとした。

「タラレバ」で言うと、あれを回避するため騎手にできることがあったとしたら、抜け出すのをもう少し待って、内の馬と並走する形にして追い出す、ということか。

 逃避した馬の前脚が埒を乗り越え、腹を打ちつけるほど激しい衝突だったのに、ルメートル騎手は落馬せず、他馬への加害の程度を最小限にとどめた。その後、手綱を引きながらゆっくりと、騎乗馬をゴールまで走り切らせている。

 私は、JRAが新降着ルールを採用して以降の裁決に関しては、特に問題視するところはないと思っているのだが、これはお咎めなしでもよかったような気がする。中京ダート1800メートルのあの部分は、ゲートが置かれていた場所の手前で、輪乗りやゲート入りをしたときの蹄跡が大量に残って大きな模様のようになっている。また、直線入口から見る中京のスタンドは馬が怖がるような格好をしていると騎手が話していたこともある。であるから、あれはむしろ褒められるべき騎乗だったのではないか。

 今、家人の手術が無事に終わったと主治医から連絡が来た。ひとまず、ほっとした。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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