
▲戸本選手が“永遠の主将”池添師との大学時代を明かす(写真提供:戸本一真選手)
毎年秋の恒例行事、国民スポーツ大会が44年ぶりに「馬のまち栗東」を有する滋賀県で開催されます。この大会に馬術競技滋賀県代表選手として、JRA栗東所属の池添学調教師が参戦します。それに際しnetkeibaでは、池添師の大学時代の馬術部の後輩であり、昨年のパリ五輪で“初老ジャパン”の一員として日本勢92年ぶりのメダル獲得を果たした戸本一真選手をお招きしての豪華「先輩後輩対談」を実施!
第3回の今回は、寮では同部屋だったというお二人の大学時代の話題に。池添師を“永遠の主将”と慕う戸本選手ですが、稀に見せる“奇行”に驚かされていたといいます。その行動とは一体──。
前回はこちら▼
【滋賀国スポ企画! 池添学調教師×戸本一真選手対談】「メンバー同士で口も利かず…」──“初老ジャパン”92年ぶり快挙の裏側/第2回(取材・構成=不破由妃子)
同部屋だった池添先輩は「怖い印象はないが…」
──明治大学の馬術部といえば、全日本学生馬術大会や東京六大学馬術競技大会で偉大な記録を持ち、オリンピックにも多くの選手を送り出してきた名門中の名門。そこで池添先生は2002年に、戸本さんは2005年に主将を務められたそうですね。名門の主将となると重責を担う立場かと思いますが、どのようにして選ばれるんですか?
池添 一番しっかりしている人が選ばれるんじゃないですかね。
戸本 自分で言っちゃうパターン(笑)。でも、少し前に監督から打診があって…とか、そういう感じではなかったですよね。
池添 うん。2年生の後半から3年生になるあたりで、周りの空気感とか、その間の自分の立ち位置などで、「あ、主将になるだろうな」ってだいたいわかるんだよね。戸本もそうだったでしょ?
戸本 どうだったかな(苦笑)。ただ、主将は憧れの存在でもあったので、主将になって連覇に貢献したいとは思ってました。
──戸本さんにとって池添先生は“永遠の主将”だそうですね。
戸本 僕が1年生のときの主将なので、僕のなかでは「主将といえば池添さん」というイメージがいつまで経っても変わらなくて。岐阜から上京してきて、強豪校に入ったその年でしたから、やっぱりイメージが鮮明なんです。
池添 メダリストにそんなふうに言ってもらえるなんて。うれしいです(笑)。
──池添先生の“鬼主将”エピソードはありますか?