■前回まで
開拓期から人と馬が共生してきた北海道の新冠。高江地区の武田牧場に、1970年の春、「豪サラ」を2代母に持つ体の大きな仔馬が生まれ、「新冠の一番馬」と言われた。
「こんなに立派な体をした当歳馬は初めて見たよ」
武田牧場に来た調教師が、チャイナロックとハイユウとの間に生まれた仔馬──ハイセイコーを見て目を細めた。ほかの多くの調教師も口々に馬体の大きさと骨格の丈夫さを褒めた。
しかし、みながみなそうだったわけではない。
「少し皮膚が厚いのが気になるね」
「毛足が長いな。だから、ほかの当歳馬より汗をかいている」
などと言い、首を傾げる者もいた。
確かに、皮膚が薄いほど走ると言われているが、牧場長の武田隆雄はそうした声をまったく意に介さなかった。
──こいつはきっと「競馬の常識」を超えた馬になる。
そう信じていた。
ほかの仔馬にちょっかいを出されても相手にせず、飄々としている。健康なので獣医の世話になることはめったになかったが、たまに虫下しなどで嫌な思いをすると、その獣医の顔を忘れず近づけようとしない。
仔馬なのに大人びており、頭がよく、人間の言葉をわかっているのではないかと思うこともあった。
その年の夏のことだった。隆雄が所用で農協に行くと、来客中の参事が声をかけてきた。
「武田さん、ちょうどよかった。この方が雑誌の特集でサラブレッドのふるさとの取材に見えたんだが、どんな写真を撮ってもらったらいいものかね」
そう言ってカメラマンを紹介した参事に隆雄は言った。
「それなら、