■前回まで
新冠の武田牧場で生まれたハイセイコーは当歳時から評判馬だった。ハイセイコーは大井競馬場への入厩が決まる。一方、武田牧場の跡取りの武田博光は、英国ニューマーケットで運命的な出会いをしていた。
ハイセイコーは、旧2歳だった1971年の9月、東京都品川区の大井競馬場の伊藤正美厩舎に入厩した。
──こいつはちょっと抜けているな。
騎手の高橋三郎は、初めてハイセイコーを前にした瞬間、特別なものを感じた。ほかの2歳馬と比べて馬格がまるで違うし、全身から漂う「気」のようなものにも重厚感がある。
馬房に入れたまま、素手やタオルで馬の背中をこするなどして、鞍を置く準備をする。そうした馴致(じゅんち)も騎手たちの仕事だった。
ハイセイコーの馬体に触れ、体温を感じながら、高橋はこの馬の母ハイユウの乗り味を思い出していた。ハイユウにもデビュー前から跨り、レースでも騎乗していた。気性が激しく、難しい馬だったが、その激しさをレースに行ってからの爆発力に転じさせ、800mと1200mでレコードを叩き出していた。
束ねた寝藁を首の付け根から優勝レイのようにかけ、それでおとなしくなったら、馴致は次の段階に進むことができる。
最初は裸馬の状態で、次に鞍を付けて厩舎のなかで跨るようにしたのだが、ハイセイコーは暴れてなかなか人を乗せようとしない。
──お前、そんなところまでお母さんによく似ているな。
高橋は苦笑した。が、後ろ脚で立ち上がったり、尻っ跳ねしたりするときに見せるバネは、とてつもないスケールを感じさせた。
「おい、辻野、お前も乗ってみろ」