■前回まで
新冠の武田牧場で生まれ、大井の伊藤正美厩舎に入厩したハイセイコーは、3歳時、1972年7月12日のデビュー戦を辻野豊の手綱でレコード勝ちする。落馬負傷した辻野に替わり、2戦目から4戦目までは福永二三雄、5戦目は高橋三郎が乗り、すべて圧勝した。(馬齢は旧馬齢)
ハイセイコーのデビュー6戦目は、1972年11月27日に大井のダート1600mで行われる重賞の青雲賞になった。
スタンドはファンで埋めつくされている。
出走馬は10頭。高橋三郎が乗るハイセイコーは大外枠を引いていた。
各馬がゲート入りを始めた。途中まではスムーズに進んでいたのだが、オーナーズミカサという川崎所属の牝馬がなかなか入ろうとしない。
騎手が押そうが叩こうが、係員が2人がかり、3人がかりで入れようとしても、ガンとして動かない。この馬は翌年、浦和の桜花賞で2着となったのち関東オークスを勝つ強い馬なのだが、それだけに我も強いのか。
──これはまずいな。
高橋はゲートの外で待ちながら、観客の苛立ちの声が高まっていくのを聞いていた。
5分、10分と時間が経っていく。
普通なら、これだけゲート入りに手間取れば出走除外にするところだ。
しかし、主催者としても、また、当のオーナーズミカサ陣営のみならず、ハイセイコー陣営にとっても、それだけは避けなければならない事態である。
なぜなら、オーナーズミカサとハイセイコーは同じ枠に入っているので、どちらか1頭が除外になると「友引」として、その枠の馬はみな除外になってしまうからだ。
ハイセイコーまで除外になったら大変な騒ぎになることは目に見えている。
15分ほど経っても、まだオーナーズミカサはゲートに入ろうとしない。
スタンドの怒声が大きくなる。