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「涙が止まらなかった」田中勝春の波瀾半生

  • 2021年02月05日(金) 21時33分
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 田中勝春騎手。今月の25日には50歳の誕生日を迎える大ベテランだが、実は1989年、大きな試練を経験している。

 美浦・藤原敏文厩舎からデビューした直後の事だった。朝、目を覚ますと体が全く動かせなかった。彼は当時を次のように述懐する。

「すぐに病院に担ぎ込まれ調べてもらったところ、慣れない生活でのストレスでホルモンバランスが崩れ、バセドウ病が判明しました。やっと退院出来たのは2カ月後くらいだったはずです。それからも薬は手放せず、騎手どころか普通の生活が出来るようになるのかも不安でした」

 そんな不安な中で過ごす田中の耳に、追い打ちをかけるように変な噂が入ったと言う。

「あくまでも噂なので本当か分からないけど、JRAが引退勧告するよう動いてたと耳にしました。でも、師匠の藤原先生が掛け合ってくれて、何とか“待った”がかかったと聞いています」

 真相は分からないが、主催者としては健康に不安のある者を乗せられないと考えても不思議ではないし、責められる話でもないだろう。

「いずれにしろ温かい目で見守り続けてくれた藤原先生には感謝しかありません」

 半年の休養を経て、回復した田中は2度目のデビューを果たす。結局この年は5勝に終わったが、2年目、3年目はそれぞれ41勝、63勝と一気に成績を伸ばし、4年目の1992年にはヤマニンゼファーを駆って安田記念(GI)を制覇。ついにGI騎手へと上り詰めた。

 また翌93年にはセキテイリュウオーで金杯(現・中山金杯/GIII)を優勝。田中にとって初めての師匠とタッグを組んでの重賞制覇となった。

「ただ、セキテイリュウオーとの思い出は良い事ばかりではありません」

 同年の秋の事だった。毎日王冠(GII)を2着したセキテイリュウオーと田中勝春、藤原調教師のトリオは勇躍、天皇賞(秋)(GI)に駒を進めた。レース前の心境を鞍上は次のように思い出す。

「人気はなかったけど、毎日王冠の内容は悪くなかったし、何としても師匠の馬でGIを勝ちたいという一心でした」

 しかし、あと少しのところで願いはかなわなかった。結果はハナ差惜敗の2着。当時を思い起こす田中の表情は今でも歪む。

 この4年後、藤原調教師は現役のまま急逝しただけに千載一遇のチャンスを生かせなかったこのレースの事を思い起こすと、今でもやるせない気持ちになるのだと言う。
ネタ元のURL
https://number.bunshun.jp/articles/-/846908

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