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伝説の阪神大賞典 武豊、当時の想定外とは

  • 2021年03月22日(月) 07時10分
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 この一戦は間違いなく競馬史に残る名勝負である。

 武豊・ナリタブライアンと田原成貴・マヤノトップガンが激突した第44回阪神大賞典は、そういうレースだった。

 1996年3月9日。ちょうど四半世紀前のことであった。

 2頭の後ろは9馬身ちぎれた。

 最後の数完歩で逆転したナリタブライアンが頭差で勝利をおさめていた。

 多頭数の競馬が中心の日本では、めったに見られないマッチレースだった。それも、無敵の王者として君臨した三冠馬と、一世代下で菊花賞とグランプリを完勝したスーパーホースが600mもビッシリ叩き合ったのである。

 人気が示すように、この2頭で決着することを予想していたファンが大半だったのだが、想像の範囲外の、とてつもないレースになった。阪神競馬場を支配した興奮のざわめきが、そのまま今も私たちの胸に残っている。

 レース後、武はこう語った。

「めったにできない、いいレースだったと思います。ただ、正直、4コーナーを回ったときは、もっと楽に勝てると思っていました。ゴール前の叩き合いで一瞬相手に前に出られましたが、前の年に乗ったときと違い、今度は最後まで持つと思いました」

 田原の受け止め方は違っていた。

「あれは名勝負でも何でもない。おれの馬は直球を投げた。カーブもフォークもあるのに使わなかった。それをブライアンに打たれただけだよ」

 大久保元調教師は、後年、こう振り返っている。

「あれは、豊君と田原君という名ジョッキーのテクニックがあったからこそのレースだと思います。名手の腕比べとしては素晴らしかったですが、ブライアンの状態は本来のものではありませんでした」

 マヤノトップガンも、陣営が始動を遅らせるべきか迷う状態だったという。

 ともに年明け初戦のGIIだったがゆえに、状態面に関しては、仕上がり途上となったことはやむを得なかったのだろう。

 だとしても、四半世紀の時を経た今リプレイを見ても全身が総毛立つほど、ダイナミックで、スリリングな600mの叩き合いだったことに変わりはない。

 名馬と名手に魅せられた、素晴らしいレースであった。
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https://number.bunshun.jp/articles/-/847442

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