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テイオーvsマックイーン“執念の血”とは

  • 2021年05月03日(月) 06時43分
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「天下分け目の決戦」と言われたそのレースは、1992年4月26日の第105回天皇賞・春。主役となっていたのは、メジロマックイーンとトウカイテイオーであった。

 メジロマックイーンは、典型的な「遅咲きの大物」だった。父メジロティターン、母メジロオーロラ。浦河・吉田堅牧場生産。メジロ商事株式会社が所有し、栗東に厩舎を構える池江泰郎が管理した。

 北野は、まさに執念で「メジロ」の血をつないできた。メジロマックイーンの祖父メジロアサマは種牡馬となった最初の年に受胎した牝馬がゼロだったため、シンジケートが解散。それを引き取り、自身が所有する牝馬に交配しつづけた。それでも産駒は全世代で19頭しか誕生しなかった。その1頭がメジロティターンだったのである。

  一方、トウカイテイオーは「皇帝」の跡を継ぐ「帝王」ということで、どうしても父系が注目されがちだが、この馬の母系の血は、オーナーの熱い思いによってつながれたものだった。

 トウカイテイオーの血統表を見ると、6代母が「久友」となっている。これは1937年、牝馬として初めて日本ダービーを勝ったヒサトモの繁殖名である。ヒサトモは、競馬史にさん然と輝く実績を残しながらも、数奇な「馬生」を送ることになる。古馬になってから天皇賞の前身である帝室御賞典などを勝ったのち、繁殖牝馬となった。しかし、終戦後、馬不足のため15歳になってから地方競馬で現役に復帰させられ、浦和競馬場で病死したのだ。

 トウカイテイオーのオーナーだった内村は、ヒサトモの曾孫にあたるトウカイクイン(トウカイテイオーの3代母)を購入したのを機に、消滅しかけていたヒサトモの血を持った馬を次々と購入するなど、この母系を大切にした。

「天下分け目の決戦」は日本を代表するオーナー同士の執念と熱意のぶつかり合いでもあったのだ。

 結果はメジロマックイーンが先頭でゴールを駆け抜け、トウカイテイオーは5着に終わった。

 メジロマックイーンの血は、オルフェーヴルやゴールドシップらの母の父として、今なお強大な影響力を発揮している。

 オーナーの執念と熱意で血がつながれ、生を受けた2頭の名馬。その蹄跡が交わったのは、奇跡的な確率だったのかもしれない。「天下分け目の決戦」としてヒートアップした29年前の天皇賞・春は、歴史的一戦として、これからも語り継がれるだろう。
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https://number.bunshun.jp/articles/-/847934

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