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安田富男 ニシノスキー朝日杯は俺の代表作

  • 2021年11月01日(月) 21時09分
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 安田富男元騎手が長いジョッキー生活の中で印象に残る馬として指名したのは、8戦全勝のマルゼンスキー。

「実際に日本短波賞(77年6月26日=中山芝1800M)でプレストウコウ(その年の菊花賞馬)で対戦したけど、桁が違ったね。主戦の中野渡さんがすごいダッシュ力で大逃げを打って、そのまま7馬身差でゴール。まさに次元が違う名馬だったなあ」

 そんな日本競馬最強の一頭の産駒ニシノスキーの騎乗依頼があったのは82年。親交が深かった元石孝昭元調教師からだった。

「マルゼンスキーの子供に乗れると聞いて本当にうれしかった。パワーがあり、脚の長い体形は父親譲り。切れ味より持久力がある、乗り心地のいい馬だった」

 デビュー3戦目が、同年の朝日杯3歳S(12月12日=中山芝1600M)。当時は関東の2歳王者決定戦的位置付けだったが、下馬評は実力伯仲の大混戦。ビンゴカンタ、デアリングパワーが人気を集めた。デビュー3戦目で新馬を勝っただけのニシノスキーは7番人気の伏兵評価だった。

「鮮烈なレコード勝ちをした父親(マルゼンスキー)が脳裏をかすめたんだ。その子供だし、ここは思い切って大逃げを打とうと決めた。他の騎手も油断して無理に追い掛けて来ないだろうと思ったんだ」

 例によって穴男の天性の勝負勘。その読みはここでもズバリとハマった。

 好ダッシュで作戦通り先頭に。前半3ハロン35秒1、5ハロン58秒3とペースは遅くなかったが、後続に脚を消耗させる流れでもあった。その後も同様のラップで逃げて、直線は“お約束”の内ラチぴったり。急坂を上がってから両腕とムチをフル稼働させ馬を追った。

 脚色は一杯だったが、無限のパワーを誇った父のDNAを搾り出した格好でもうひと粘り。2番手追走のスピードトライの猛追をクビ差抑え切った。

 しかし、ニシノスキーの輝かしい勲章はこの1勝のみ。以後は未勝利(通算13戦2勝)で引退、形の上では一発屋で終わってしまったが、最強馬の子供とともに手に入れた金星。今でも忘れられない一勝だ。

「振り返ると、俺は戦法を変えて穴を出したレースが多いんだな。特に差し馬を逃げさせた時。脚質転換した大逃げは他の騎手のマークが薄くなるんだ。まあ今話せばもっともらしいけど、当時は大胆にやったんだなあ(笑い)。でもこのニシノスキーの朝日杯は俺の代表作のひとつだと思っている」 
ネタ元のURL
https://tospo-keiba.jp/yasudatomio/4357

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