今年、70回を迎える
阪神ジュベナイルフィリーズ。牝馬限定の「阪神3歳牝馬ステークス」となったのは1991年のことだが、性齢が限定された3年目に優勝したのは“マル外”だった。今週の「GI列伝・阪神JF」は、1993年の
ヒシアマゾンからお届けする。
■2歳女王に輝いたマル外の気高き牝馬
1990年代前半の競馬界は、海外から良血馬が輸入され台頭した時期だった。そのマル外を代表する1頭がアメリカ生まれの牝馬、
ヒシアマゾンである。そして、彼女の名を最初に知らしめたのが、阪神3歳牝馬ステークス(現在の
阪神ジュベナイルフィリーズ)だった。
1993年、2歳9月にデビューした
ヒシアマゾンは、脚元の不安を考慮しダートを2戦使われた。その後、3戦目の
京成杯3歳S(現在の
京王杯2歳S)で芝に転向すると、6番人気ながらクビ差の2着。管理していた中野隆良調教師はもともと芝適性を感じていたが、実際に芝を使いその思いを確信に変えたという。
そして迎えたのが、第45回阪神3歳牝馬Sである。
ヒシアマゾンは唯一の関東馬として出走した。
ここでの
ヒシアマゾンは単勝オッズ5.2倍の2番人気だった。1番人気(単勝オッズ4.1倍)は南関東の名牝
ロジータの初仔で、デビュー2連勝中の
シスターソノ、3番人気(同5.9倍)も3戦で2連勝の良血馬
タックスヘイブン、5番人気までが単勝オッズ10倍以内という人気が構成されていた。
スタート直後、ハナを奪いにいったのは
シスターソノだったが、その後
シアトルフェアーを前に置き2番手を追走。
ヒシアマゾンはその外、3番手を進む。4コーナーでは
シアトルフェアーを真ん中に、内から
シスターソノ、外から
ヒシアマゾンが先頭に並びかけ、直線は3頭の追い比べかと思われた。ところが、
シスターソノと
シアトルフェアーは失速し、それを横目に
ヒシアマゾンがぐんぐん脚を伸ばす。残り200mで抜け出すと、あとは後続を突き放すのみ。追いかける2着の
ローブモンタントに5馬身差をつける圧勝だった。当時、クラシックへの出走資格のないマル外の
ヒシアマゾンが、世代最初の女王の座に就いたのである。コンビ3戦目の
中舘英二騎手は「今日はただ乗っかっていただけだった」と、レース後に語っているが、彼にとって初めてのGI勝利でもあった。
その後の
ヒシアマゾンは、
クイーンCから
エリザベス女王杯まで、当時の最多タイ記録となる重賞6連勝を達成する。なかでも、
クリスタルCではいまでもファンに語り継がれるほどの異次元の末脚を披露し、
エリザベス女王杯では
桜花賞馬の
オグリローマンと
オークス馬の
チョウカイキャロルを撃破したことで「幻の牝馬三冠」とも称された。また、
エリザベス女王杯後の
有馬記念では、同世代の三冠馬
ナリタブライアンの2着、4歳秋の
ジャパンカップは日本馬最先着の2着など、存在感をいかんなく発揮した。
関係者によれば、
ヒシアマゾンは常に周囲を気にすることなく堂々としていて、いい意味で態度の大きい馬だったという。また、「調子が悪くても決して弱さを見せなかった。女王様という感じで、たくさんの馬がいるトレセンでもひとめでわかるほど、彼女だけ光り輝いていてオーラがあった」そうだ。その気高さが、同世代の
ナリタブライアンをはじめ、並みいる牡馬の一流馬を相手に互角にわたりあった“女傑”としての原動力だったといえる。