今年の
朝日杯FSには、4頭の無敗馬が出走を予定している。そして、今週の「
朝日杯FS列伝」は無敗馬の勝利がテーマ。初回は1991年の
ミホノブルボンをお届けする。
■ハードトレーニングによるスタミナ強化で無敗の戴冠
まだレース名も現在のものではなく、舞台も中山競馬場、馬齢表記も数え年だった頃、第43回朝日杯3歳ステークスは8頭立て。少頭数となったのは、
ミホノブルボンの存在が大きかった。
ミホノブルボンのデビューは、2歳9月の中京芝1000m。出遅れながらメンバー最速の上がりで直線一気を決め、レコード勝ちをおさめる。快速を武器に勝ち星を積み重ねた
ミホノブルボンにとって、唯一の追い込みでの勝利だった。
続く2戦目の500万下(東京芝1600m)は2番手を追走し、直線では少し気合いをつけただけで2着馬に6馬身差をつけた。そして、向かったのが8頭立ての2歳王者決定戦。前2戦で見せた圧倒的な強さに、他陣営はゲート入りさえしなかったのである。当然、単勝オッズ1.5倍という断然人気を集め、2番人気に前走の
京成杯3歳Sを1番人気で快勝した
ヤマニンミラクル、3番人気には府中3歳Sを勝った
マチカネタンホイザが続いた。
レースは、
マイネルアーサーが押して先頭に立つ。
ミホノブルボンはそれを見ながらの2番手、直後には
ヤマニンミラクル、それらをマークしながら内を進んだのが、
マチカネタンホイザだった。馬群は徐々に固まり、4コーナーを回る。
直線を向くと、満を持して
ミホノブルボンが先頭へ。そこに外から
ヤマニンミラクルが迫り、2頭のマッチレースになるかと思われた。しかし、
ヤマニンミラクルが並びかけようとするたびに、
ミホノブルボンもひと伸び。結局、一度も前を譲ることなく
ミホノブルボンがハナ差凌ぎきった。過去2戦とは違い僅差での勝利となったが、改めて強さを見せつけたレースだった。
ミホノブルボンを管理した戸山為夫調教師は、「鍛えて馬を強くする」ことを信念としていた。そして当初は故障馬のリハビリのために作られた栗東トレーニングセンターの坂路コースを積極的に活用し、管理馬にハードトレーニングを課した。取引価格はわずか700万円、血統的には短距離馬と見られていた
ミホノブルボンも、そんな戸山流で鍛えられ“坂路の申し子”と呼ばれるまでになった。戸山師は
ミホノブルボンについて「絶対的なスピードがあるから先行しているだけで、決して逃げ馬というわけではない」と評したそうだが、その持って生まれたスピードに、一日に栗東坂路を4〜5本駆け上がることでスタミナを兼ね備えていったのである。戸山師の信念に精神力で応えた
ミホノブルボンは、朝日杯3歳Sを制したあと、無敗のまま
皐月賞とダービーの2冠に輝き、距離不安を払拭してみせた。