【松浪大樹のあの日、あの時、あのレース=2003年
京都金杯】
このコラムを書くとき、まずは過去30年くらいの結果をチェックしてみるんです。で、勝ち馬の名を眺めながら「ああ、あのときはこんなことがあったな」や「あの関係者とこんなことを話したレースだったな」など、忘れていたような記憶を少しずつ思い出していく──。しかし、中山・京都の両
金杯の成績を10秒ほど凝視し、最初に出てきた言葉は
「
金杯って思い出がねえなぁ」
昨年までの不甲斐ない成績を
リセットし、再スタートを切れる競馬ファンにとって大事なレース。それは関係者の方々もそうでしょうし、きっと僕らもそうなんでしょうけど、それなのに思い出らしい思い出がない。グチる僕に隣席の芝井記者が「そりゃあそうだよ。また始まったなって思うだけだもん」と。
いや、それもあるかもしれませんが、それ以上に大事なことがあるんだと思いますよ(苦笑)。
大抵の場合、年明けは3日に追い切りがあり、その夕方には出走馬が確定。そのまま5日の予想に入る。時計班の僕が関係者と話をしている時間なんてないんですよね。翌4日、ようやく僕に自由な時間が与えられるのですが、この日は懇意の方に「今年もよろしくお願いします」のあいさつ回り。年明けのレースよりも
有馬記念の回顧なんかに時間を費やしてしまって。そんでもって「
JRA賞はどうなるの?」という話をしていたら、いつの間にか閉門時間を一時間以上も過ぎていた…。
つまり、
金杯にかまけている時間がないんですよ。今年なんて
金杯翌日が翌週の本追い切りだしさ。なんてグチっても仕方がないので、レースの記憶をひたすらに振り返ってみました。
2003年
京都金杯。この時の勝ち馬は
サイドワインダー。
ゴールデンジャックの子に同馬の主戦だった
四位洋文騎手(現調教師)が騎乗したレースです。これが初騎乗だったのかな?そんなこともあって多少の注目はされていたと思いますけど、僕自身は
武豊騎手が騎乗していた1番人気の
モノポライザーがどんなレースをするのかに注目していて、ほぼ最後方にいた同馬は通過順チェックでしか目に入っていない感じだったんですけど、外からアッという間に突き抜けてしまいました。
京都金杯って基本的に内を通った馬が強い印象のあるレース。Aコース施行になった2010年(
ライブコンサートが馬群を割ってきたレースですよね)からは、その傾向がさらに強くなった気もするんですけど、この
サイドワインダーが勝ったレースも2着以下は内を狙ってきた馬たちでした。それだけに印象が強かったのかもしれません。もっとも、2005年
ハットトリックとか、最近では
2018年の
ブラックムーンとか、大外一気の追い込みもあるにはあるんですが。
やっぱり
ゴールデンジャックの子というところが一番のポイントだったのかな。1994年東京競馬場の4歳牝馬特別をライブ観戦し、続く
オークスでも僕はこの馬の馬券を買った。父は
アフリートで母父はダンジグ。なぜ、2400メートルでこの馬の馬券を買ったのか?その理由はさすがに覚えていませんが(苦笑)。
東京スポーツ