スマートフォン版へ

【追憶の菊花賞】90年、雨中の主演メジロマックイーン 涙の内田浩一「こらえ切れなかった」

スポニチ
  • 2022年10月19日(水) 07時00分
 1990年11月4日。菊花賞は雨、重馬場。1番人気は重馬場の京都新聞杯を制したメジロライアン。メジロ牧場当代のエースとしてクラシック制覇を期待されたが、皐月賞3着、ダービー2着。今度こその意気込みで臨んでいた。春はダービーで3着、秋復帰初戦のセントライト記念を勝ったホワイトストーンが2番人気。この関東馬2頭が「単枠指定(※文末に注あり)」だった。

 不良馬場の弥生賞、重馬場の前走を勝ったメジロライアンは道悪巧者として知られ、単勝2・2倍。中団から早めに押し上げる得意の戦法を取ったが、直線を向いてのラストスパートでじりじりとしか伸びない。

 もがく1番人気馬を尻目に、好位追走から3角で2番手に付けていたのが同冠名のメジロマックイーン。なお同じ「メジロ」だが、ライアンは馬主メジロ牧場で白地、緑一本輪、袖緑縦縞の勝負服。マックイーンは馬主メジロ商事で白地、緑一本輪、袖緑の勝負服。この菊花賞で、メジロ総帥の北野ミヤさんは「ライアンを勝たせたい」と期待していたというが、果たして菊の大輪を咲かせたのは4番人気メジロマックイーンの方だった。当時の菊花賞は今と違って枯れ芝。道悪で前の馬が蹴って飛ぶ根付きの芝で芦毛の馬体を泥だらけにしながら走る。鞍上は88年デビューで、ここまで通算43勝、クラシック初騎乗の内田浩一。マックイーンを管理した池江泰郎厩舎所属であることから、その背を預けられていた。彼の左ムチ連打にマックイーンが応えて、インをさばいて伸びてくるホワイトストーンの末脚をしのいだ。メジロライアンホワイトストーンから1馬身半差の3着まで。

 勝った内田浩一は検量に引き上げてくる際、マックイーンの馬上で涙を浮かべ、拳を突き上げた。

 「本当にうれしかった。この馬で悔しい思いをしていたので、(涙を)こらえ切れなかったです」

 その悔しい思いとは、前走の嵐山S。当時は菊花賞と同舞台の準オープンが、京都新聞杯の前日に施行されていた。内田浩一騎乗のメジロマックイーンは1番人気で挑んだが、9頭立ての少頭数にもかかわらず不利をさばけず2着だった。

 「あれは勝っていたレースですから。今日は(前走のように)包まれないことだけ気をつけました。馬が強いのは分かっていましたし、具合もいいので信じていました。直線でライアンの影が見えたけど、絶対に抜かれないと思いました」

 実は嵐山S2着の後、菊花賞で若い内田浩一から別の騎手への乗り替わりも取りざたされた。しかし池江泰郎調教師は「騎手なら一度は通らなければならない道」として騎乗継続を決断。師匠の思いに弟子が応えた。

 ただ、内田浩一がレースでマックイーンに騎乗したのはこの菊花賞が最後。メジロの悲願「父系3代天皇賞制覇」のため、マックイーンの鞍上は次のレースから武豊にゆだねられた。武豊と共にマックイーン天皇賞・春連覇など一時代を築くが、出世の契機でありG1初勝利の菊花賞には、うるわしき師弟の物語があった。

※単枠指定 90年当時はまだ馬番連勝(馬連)の発売がなく、馬券は単複と枠連のみ。人気が予想される馬を1頭の枠に固定することで、その馬が取り消しや除外になった場合、枠連の馬券を返還するために設けられた制度(同枠馬がいる場合、枠連の返還はできないため)。

スポニチ

みんなのコメント

ニュースコメントを表示するには、『コメント非表示』のチェックを外してください。

ミュート・コメント非表示の使い方
  • 非表示をクリックし「このユーザーの投稿を常に表示しない」を選択することで特定のユーザーのコメントを非表示にすることができます。(ミュート機能)
  • ※ミュート機能により非表示となった投稿は完全に見えなくなります。このため表示件数が少なく表示される場合がございますのでご了承ください。なお、非表示にしたユーザーはマイページからご確認いただけます。
  • 『コメント非表示』にチェックを入れると、すべてのニュース記事においてコメント欄が非表示となります。
  • ※チェックを外すと再びコメント欄を見ることができます。
    ※ブラウザを切り替えた際に設定が引き継がれない場合がございます。

アクセスランキング

注目数ランキング

ニュースを探す

キーワードから探す