トウカイテイオーには乗れるチャンスはないと思っていたので、4歳になって依頼が舞い込んだときはうれしかったのと同時に驚いたのを今でも覚えている。
最初に騎乗したのは、栗東(滋賀県)の坂路で行われた1992年の産経大阪杯の追い切りだった。あまりにも乗り心地が良く、当時の紙面で「地の果てまで行ってしまいそうなくらい」と報道されたとおりの感触を受けた。
一番印象に残るレースは勝った同年のジャパンカップ。英国の名牝ユーザーフレンドリーをはじめ、JC史上、最高といえるメンバー構成だった。
最後のレースとなった93年有馬記念も思い出深い。1年ぶりの出走となったこのレースで、ボクは1番人気のビワハヤヒデとコンビを組んで自信を持って早めに先頭に立ったが、テイオーに差されてしまった。それでも、不思議とテイオーなら仕方ないと割り切れたものだ。
惜しまれるのは3度も骨折した影響だろうか、重厚感が出なかったこと。父シンボリルドルフは最初は軽快さが目立ったが、キャリアを重ねるごとに重厚感が増してきた。それに対し、テイオーは軽快なまま。重厚感が加われば、もっと強くなったはずだ。
種牡馬としても、まだ外国産馬優勢の時代にGIホースを出したのだから称賛でき、父同様、日本の競馬の発展に貢献した。安らかに眠ってほしい。 (JRA元騎手)
(8月31日 sanspo.com)
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