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悲劇から1年 NZで闘う邦人騎手“2人”の活躍願う

スポニチ
  • 2023年08月11日(金) 05時05分
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 【競馬人生劇場・平松さとし】私が彼らと初めて会ったのは2019年。コロナ禍に突入する少し前のことだった。場所はニュージーランド。日本人の柳田泰己騎手と熊谷勇斗騎手だった。

 柳田騎手は1993年11月生まれ。高校時代にオーストラリアへ留学した際、競馬に魅了された。

 「既に18歳になっていたのですが、ジョッキーを目指すことにしました」

 紆余(うよ)曲折の末、16年の秋にはニュージーランドへ。苦労した末、17年の秋に騎手となり、12月には初騎乗を果たした。

 「初騎乗は緊張しっ放しで勝てませんでした」

 しかし、翌18年の年明けすぐに初勝利。翌シーズンは38勝を挙げ、見習いリーディング2位という躍進を見せた。

 そんな柳田騎手がある時、教えてくれた。

 「実は“柳田”という姓は僕の祖母の旧姓です。自分は祖父母に育てられたので、恩返しする意味でもこの名字で活躍したいんです」

 その柳田騎手を慕い、現地で一緒に乗っていたのが熊谷騎手だ。

 「泰己さんにはいつも相談に乗ってもらっています。泰己さんがいなければ僕は騎手になれていなかったと思います」

 以降、彼らの成績を気にかけていると、1年前の8月3日、柳田騎手の成績欄に「落馬」の文字が。LINEをしたが、いつものようにすぐに返信は来なかった。そこで熊谷騎手に連絡すると「命は大丈夫そうです」との返事。安堵(あんど)していたが、6日後の8月9日、事態は急転。訃報が届いた。わずか28歳。志半ばで柳田騎手は唐突に逝ってしまった。

 ショックを受けた熊谷騎手は帰国。日本で長らく静養を余儀なくされた。

 しかし、今年の4月には再びニュージーランドへ戻ると、先月、約1年ぶりにレースに復帰した。

 「いつまでも悲しんでいては泰己さんも安心できないでしょうから、これからは常に一緒に乗ってもらっているという気持ちで、前向きに頑張ります」

 悲劇から1年が過ぎ、柳田騎手の命日である9日に連絡をすると、熊谷騎手はそう言った。

 “彼ら”の新たな活躍を願いたい。 (フリーライター)

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