【競馬人生劇場・平松さとし】私が彼らと初めて会ったのは2019年。コ
ロナ禍に突入する少し前のことだった。場所はニュージーランド。日本人の柳田泰己騎手と熊谷勇斗騎手だった。
柳田騎手は1993年11月生まれ。高校時代に
オーストラリアへ留学した際、競馬に魅了された。
「既に18歳になっていたのですが、ジョッキーを目指すことにしました」
紆余(うよ)曲折の末、16年の秋にはニュージーランドへ。苦労した末、17年の秋に騎手となり、12月には初騎乗を果たした。
「初騎乗は緊張しっ放しで勝てませんでした」
しかし、翌18年の年明けすぐに初勝利。翌シーズンは38勝を挙げ、見習いリーディング2位という躍進を見せた。
そんな柳田騎手がある時、教えてくれた。
「実は“柳田”という姓は僕の祖母の旧姓です。自分は祖父母に育てられたので、恩返しする意味でもこの名字で活躍したいんです」
その柳田騎手を慕い、現地で一緒に乗っていたのが熊谷騎手だ。
「泰己さんにはいつも相談に乗ってもらっています。泰己さんがいなければ僕は騎手になれていなかったと思います」
以降、彼らの成績を気にかけていると、1年前の8月3日、柳田騎手の成績欄に「落馬」の文字が。LINEをしたが、いつものようにすぐに返信は来なかった。そこで熊谷騎手に連絡すると「命は大丈夫そうです」との返事。安堵(あんど)していたが、6日後の8月9日、事態は急転。訃報が届いた。わずか28歳。志半ばで柳田騎手は唐突に逝ってしまった。
ショックを受けた熊谷騎手は帰国。日本で長らく静養を余儀なくされた。
しかし、今年の4月には再びニュージーランドへ戻ると、先月、約1年ぶりにレースに復帰した。
「いつまでも悲しんでいては泰己さんも安心できないでしょうから、これからは常に一緒に乗ってもらっているという気持ちで、前向きに頑張ります」
悲劇から1年が過ぎ、柳田騎手の命日である9日に連絡をすると、熊谷騎手はそう言った。
“彼ら”の新たな活躍を願いたい。 (フリーライター)
スポニチ