JRA公式により、G1レースの動画が多くYouTubeで公開されているが、1992年12月20日(当時は
有馬記念1週前施行)の
スプリンターズSを見たことがないのなら、ぜひ見てほしい。
これほど鮮やかな差し切りはそうない。類型は2003年の
デュランダルを待たねばならないか。いや、大外から豪快になで斬った
デュランダルとはまた違う、軽快で華やかな切れ味。同年の
安田記念勝ち
ヤマニンゼファー、
マイルCS勝ち
ダイタクヘリオス、そしてのちのス
プリント王
サクラバクシンオーがそろった豪華メンバーで、同年の
桜花賞馬が鮮やかに復活した。
ニシノフラワーは阪神3歳牝馬S、
桜花賞とマイルG1を2勝。ただ
オークス7着、秋を迎えて
ローズS(当時京都芝2000メートル)4着、
エリザベス女王杯(当時世代限定戦の京都芝2400メートル)も3着に敗れ、次の目標を模索していた。松田正弘調教師は「阪神牝馬特別(芝2000メートル)と
スプリンターズSのどちらに使うか迷っていましたが、53キロで走れるならG1でもと考えて」
スプリンターズSへ向かう。
前走2400メートルから距離が半分の1200メートル。
エリザベス女王杯の最初3Fは36秒6、
サクラバクシンオーがハナに立った
スプリンターズSは32秒8。
「思ったようにペースについていけなかった。でも覚悟していたこと。焦りはなかったよ」と河内騎手。それまでの
ニシノフラワーは先行する
スタイルだったが、
トモエリージェント、
ユウキトップラン、
ナルシスノワールまでからんで先行争いが激化したこのレースでは自然と後方12番手。「出来が良く、凄くいい感じで落ち着いていたからね」と河内騎手はじっくり乗って、戦略も明確。「道中は
ダイタクヘリオスのお尻ばかり見ていた」と言う。
ダイタクヘリオスは
マイルCS勝ちで1番人気。この馬の仕掛けを見極める算段だった。置かれ気味だった道中も、3コーナーでは行き脚が乗って加速がつく。素晴らしい切れ味で、目標にしていた
ダイタクヘリオスを含めて先団をパス。「馬群をかわして、ヨシッと思ったんだけど、ありゃもう1頭おるわ、えらいこっちゃと…」と河内騎手は苦笑いしたが、内枠からインで脚をため先んじて仕掛けた
ヤマニンゼファーがラチ沿いを先行していた。
ゼ
ファー鞍上の
田中勝春騎手は「勝ったと思った」とレース後に振り返っている。しかし中山の急坂をものともせず、最後まで脚が鈍らなかった
ニシノフラワーが首差かわしたところがゴール。上がり3F34秒1はゼ
ファーより0秒5も速く、一陣の風が吹いたかのようだった。風は
ヤマニンゼファーの代名詞ではあるが。
余談だが3着は
ナルシスノワールでこの年は花(フラワー)、風(ゼ
ファー)、花(黒水仙)の順、翌年のこのレースも花(“サクラ”
バクシンオー)、風(ゼ
ファー)、花(フラワー)の順で当時の
スプリンターズSは雅やかでもあった。
ニシノフラワーの西山正行オーナーは「思い切って室内運動場を造ったり、土地改良をした牧場の1期生がこの世代。効果があったね。本当にうれしい。河内君に感謝だ」と笑顔を見せていた。
スポニチ